まずデュルケームの自殺論における「自己本位的自殺」と「集団的自殺」の類型を説明し、次に日本における自殺の推移の特徴をデュルケームの自殺論に関係させて説明していく。
まず自己本位的自殺についてみていく。個人の属している集団や他人との結びつきが弱まることで、常軌を逸した個人化が進んでいくことになる。このことで個人は何の役にも立たない存在であると感じてしまいこれがさらに深化していくことになり、自己の殻に閉じこもったり、孤立化することになる。こうして自分の生に存在理由を見出すことができなくなったため起こる自殺のことを自己本位的自殺という。
次に集団本位的自殺についてみていく。これは個人化が十分に行われない場合に起こる自殺で3つの型に分類される。1つ目は「義務的集団本位的自殺」と呼ばれるもので、個人が集団の中に埋没してしまいその結果として起こる自殺である。2つ目は「随意的集団本位的自殺」と呼ばれるもので、義務的・強制的に行われるものではなく自発性を持つものをいう。例としては日本の武士の切腹などが挙げられる。3つ目は「激しい集団本位的自殺」と呼ばれ、賞賛されたり願望の現われという形で行われる自殺である。
次に日本における自殺の推移の特徴についてみていく。
日本の自殺の推移には3つの大きな山がある。
1つ目は1950年代後半にある。この時期は日本は敗戦から復興してきている時期でありそれにより戦時統制政策から解放された。つまり人々の活動が無規制になり欲求も無規制になった。こういったことから1950年代後半の自殺の増加はアノミー的自殺と考えることができる。
社会学レポート
デュルケームの自殺論にからみた日本における自殺の特徴
まずデュルケームの自殺論における「自己本位的自殺」と「集団的自殺」の類型を説明し、次に日本における自殺の推移の特徴をデュルケームの自殺論に関係させて説明していく。
まず自己本位的自殺についてみていく。個人の属している集団や他人との結びつきが弱まることで、常軌を逸した個人化が進んでいくことになる。このことで個人は何の役にも立たない存在であると感じてしまいこれがさらに深化していくことになり、自己の殻に閉じこもったり、孤立化することになる。こうして自分の生に存在理由を見出すことができなくなったた...