まずは「イデオロギー」という言葉が生まれた背景、そしてその定義をはっきりさせておこう。今日でもその意味で用いられる否定的な意味あいをイデオロギーという語(この言葉はマルクス主義とともに日本に輸入されたので、フランス語でも英語でもなく、通常ドイツ語読みの発音が用いられている)に与えたのはナポレオンであった。当初はこの新しい学問を重視し、重用していたナポレオンであったが、徐々に彼らの教育改革、公衆道徳についての改革案に潜むリベラルで市民的な要素が自分自身の権力支配計画にとって危険なものであると気づくようになる。そこでナポレオンは、彼ら「イデオローグ」の見解など現実から遊離した空論にすぎず、それは政治的・社会的実践に全く役立たないだけでなく、無能な大衆に「主権」を与えて煽動し、謀反の原理を国民の義務として教えようとする危険な「国家と教会の敵」であると排撃するようになったのだった。
フランスの啓蒙主義哲学者が作りだし、ナポレオンによって否定的なニュアンスを与えられたイデオロギーという言葉に、社会科学上の重要な意義を付与したのがカール・マルクスだった。彼にとってイデオロギーとは誤った観念形態のひとつである。しかし、単なる「誤り」はイデオロギーとは違う。1プラス1が3であると主張することは確かに誤りではあるがイデオロギーではない。イデオロギーとは、社会構造的に生み出された虚偽の意識であり、かつその虚偽の意識の形成がひとつの権力手段として、特定の政治支配と結びつき、被支配者の側の服従を確保するために用いられるものなのである。
マルクスは、社会を現実につき動かしている基盤が経済的構造(彼はこれを「土台」と呼ぶ)であると考える。政治、法律、道徳、宗教、芸術、哲学などの社会的意識形態(マルクスの用語では「上部構造」)はこの経済的構造によって規定されたものであって、自律的なものではない。
現代思想から見る「イデオロギー」
まずは「イデオロギー」という言葉が生まれた背景、そしてその定義をはっきりさせておこう。今日でもその意味で用いられる否定的な意味あいをイデオロギーという語(この言葉はマルクス主義とともに日本に輸入されたので、フランス語でも英語でもなく、通常ドイツ語読みの発音が用いられている)に与えたのはナポレオンであった。当初はこの新しい学問を重視し、重用していたナポレオンであったが、徐々に彼らの教育改革、公衆道徳についての改革案に潜むリベラルで市民的な要素が自分自身の権力支配計画にとって危険なものであると気づくようになる。そこでナポレオンは、彼ら「イデオローグ」の見解など現実から遊離した空論にすぎず、それは政治的・社会的実践に全く役立たないだけでなく、無能な大衆に「主権」を与えて煽動し、謀反の原理を国民の義務として教えようとする危険な「国家と教会の敵」であると排撃するようになったのだった。
フランスの啓蒙主義哲学者が作りだし、ナポレオンによって否定的なニュアンスを与えられたイデオロギーという言葉に、社会科学上の重要な意義を付与し...