この会話を初めて読んだとき、私は違和感を覚えた。普通、物語を語って聴かせるのは母親の方であり、子供はそれをせがむものであるが、この場面ではそれが逆になっている。確かに子供が母親に自分の知識を披露したくて、自分の聞き知ったお話を得意げに語って聴かせることがあるかもしれない。しかし、この場面の特異性から考えて、このような不自然さはこの場面のゆえに出てきたものではないかと考えた。そもそも、登場人物としては一見インパクトの小さいマミリアスを、このような場所に登場させなくとも物語の進行には差し支えなかっただろう。その中、敢えてこの場面を作ったのは、マミリアスが冬物語全体において、実は隠れた大きな登場人物であることを示す意図があったからではないだろうか。そして、マミリアスが登場できる場面はここにおいて他に無かった。さらに、物語の終わりでよみがえる母ハーマイオニーにとって、マミリアスの存在が大きいものであればあるほど、死んでしまった愛しいマミリアスとの最後の会話が交わされたこの場面は大切な意味を持ってくるのである。そのような場面においては、子が母の話を静かに聞いているよりも、生き生きとしながら、自らの話を聞かせようとしている姿の方がより印象的ではなかろうか。こうした考えから、このような発話者関係の不自然さも、マミリアスとハーマイオニーの深い愛情を、さらりと示すためのシェイクスピアの技だったのではないかと私は思うのである。
シェイクスピア『冬物語』におけるマミリアス論
―さ、またお相手してあげましょう。ここへすわってお話をしてちょうだい。
―楽しいのがいい、こわいのがいい?
―できるだけ楽しいのがいいわ。
―冬のお話にはこわいのがいいんだけどな。ぼく、妖精やお化けの話知ってるよ。
―ではそれにしましょう。さ、おすわりなさい、そしてお化けの話で私をこわがらせてちょうだい、おまえの得意の話で。
―むかしむかしある男が―
―まずすわって、それから。
―お墓のそばに住んでいました。小さな声で話すよ、むこうのおしゃべり雀たちには聞かせたくないから。
―では、私の耳もとでそっとお言いなさい。
これは、幼王子マミリアスと母ハーマイオニーの会話である。劇中でこの二人の母子が交わした会話は、たったこれだけである。この場面は、カミローがシチリア王の逆上を恐れてボヘミア王を逃がす場面と、シチリア王がハーマイオニーを投獄する場面の間に置かれている。つまり、この後すぐにハーマイオニーは愛するわが子と引き裂かれ、マミリアスは母を慕いながら、その幼い命の火を消すことになる。この場面は、幼いマミリアスが大好きな母親と過ごした、最後の幸福...