私が『科学の歴史』の講義を受け終わり一連の内容から学び得た観念は端的に書き表すと以下のようになる。
・科学の発展とはテーゼに対するアンチテーゼの発生という弁証法的構造に必ずしも則ったものではなく、むしろ歴史的に淘汰されたと捉えられがちな部分から効率的な要素を吸収している包含的なものである。
講義内容は大局的な見地から科学の発展に対する証左を検分する、極めて接地的な印象を受けるものだった。ある学論の提唱者の生い立ちと当時の世界の情勢との兼ね合い、システマティックな数学的証明の紹介、果ては哲学思想に至るまで学問領域に囚われない幅広い周辺知識を交えての講義は、現実味のある精緻な理解の助けになると同時に既存の私の価値観に巨石を投じるものであった。
先ず私にとって大きな収穫であったのは前述した通り、テーゼに対するアンチテーゼの敷衍という弁証法的発展が狭窄な認知であると同時に一元的な誤認であると理解し得た事である。明晰な例として天動説の是非に対する講義での取り扱いを挙げる。私にとって天動説とは、傲岸にも地動説という真理をスポイルする、信仰に目が眩んだ蒙昧な論説というイメージを持つものであった。果敢にも真実を叫ぶガリレオら地動説提唱学者と彼らを否定する教会学派という構図が無意識にも植え込まれていた。だが講義で紹介された内容はそのような安直な捉え方を打ち破るものであった。天動説は極めて精緻な観測と綿密な計算に基づいた、地動説が普及した現代においても尚妥当普遍性を保持する質実堅固な理論だった。当時のガリレオらは必ずしも判明な証拠を揃えた上で自身の学説を叫んだ訳ではなかった。歴史というフィルターを通して事実関係がぼやけて歪曲している事を実感した。また、一つの学説は唐突に敷衍したものではなく必ず前後に共通し、通底する要素を孕むものである。
『科学の歴史』レポート
私が『科学の歴史』の講義を受け終わり一連の内容から学び得た観念は端的に書き表すと以下のようになる。
・科学の発展とはテーゼに対するアンチテーゼの発生という弁証法的構造に必ずしも則ったものではなく、むしろ歴史的に淘汰されたと捉えられがちな部分から効率的な要素を吸収している包含的なものである。
講義内容は大局的な見地から科学の発展に対する証左を検分する、極めて接地的な印象を受けるものだった。ある学論の提唱者の生い立ちと当時の世界の情勢との兼ね合い、システマティックな数学的証明の紹介、果ては哲学思想に至るまで学問領域に囚われない幅広い周辺知識を交えての講義は、現実味のある精緻な理解の助けになると同時に既存の私の価値観に巨石を投じるものであった。
先ず私にとって大きな収穫であったのは前述した通り、テーゼに対するアンチテーゼの敷衍という弁証法的発展が狭窄な認知であると同時に一元的な誤認であると理解し得た事である。明晰な例として天動説の是非に対する講義での取り扱いを挙げる。私にとって天動説とは、傲岸にも地動説という真理をスポイルする、信仰に目が眩んだ蒙昧な論説...