「非合理性が生む合理的な近代〜ウェーバー研究を中心にして」
1問題意識
私は今回のレポートを作成するにあたってマックス・ウェーバーとエミール・デュルケームを取り上げる。19世紀の急速な近代化を受けて、社会学が政治学や経済学と並ぶ社会科学の一員として成立したが、その時代に社会学をリードしたのがこの二人だ。近代化の中で、資本主義が加速し、都市化や宗教的価値観の衰退により伝統社会が崩壊していった時代に、それに対する危機感や知的関心の中で、近代社会の分析を行い、近代社会学を創っていった人物たちであると、私は講義で聞き、深く関心を持った。私は以前より「近代」という時代に関心を寄せていたからだ。ルネサンス、宗教改革、産業革命、市民革命と様々な政治、経済、社会的な大変動を経て、次第に成立していった近代社会。その近代社会の中で、資本主義の発展や帝国主義など様々な歴史の変遷がおこり、様々な論争はあるが今の私たちの住む社会もそのような近代社会の延長線にあるのは間違いない。今の私たちは近代的な価値観の中で物事を知見し、判断している。近代という枠組みの中で、私たちは生きているのだ。私は自分が生きている、さらに言えば生かされている時代を形作った枠組みとは何であるのか、その枠組みを形成したものは何なのかということに関心を持ったのだ。
「非合理性が生む合理的な近代~ウェーバー研究を中心にして」
1問題意識
私は今回のレポートを作成するにあたってマックス・ウェーバーとエミール・デュルケームを取り上げる。19世紀の急速な近代化を受けて、社会学が政治学や経済学と並ぶ社会科学の一員として成立したが、その時代に社会学をリードしたのがこの二人だ。近代化の中で、資本主義が加速し、都市化や宗教的価値観の衰退により伝統社会が崩壊していった時代に、それに対する危機感や知的関心の中で、近代社会の分析を行い、近代社会学を創っていった人物たちであると、私は講義で聞き、深く関心を持った。私は以前より「近代」という時代に関心を寄せていたからだ。ルネサンス、宗教改革、産業革命、市民革命と様々な政治、経済、社会的な大変動を経て、次第に成立していった近代社会。その近代社会の中で、資本主義の発展や帝国主義など様々な歴史の変遷がおこり、様々な論争はあるが今の私たちの住む社会もそのような近代社会の延長線にあるのは間違いない。今の私たちは近代的な価値観の中で物事を知見し、判断している。近代という枠組みの中で、私たちは生きているのだ。私は自分が生きている、さら...