私たちは、普段マスコミを通じて情報を入手している。もちろん、国内で起こったことに限らず、海外で起こったことも基本的にはマスコミを媒介として、あれこれ情報を得ていることになるだろう。海外で、事件が起こったからといってわざわざ現地まで赴き自分の目で、ことの真相を確かめようとする人などごくわずかであり、そのような活動をする者といっても、ジャーナリストか記者くらいであろう。そうすると、私たちが普段から情報を得る媒体であるはずの、新聞、テレビニュース、雑誌などの役割は非常に大きなものであるのは間違いないだろう。
そこで、私たちが日々疑問に思うことといえば、その媒体であるマスメディアは果たして信ずるに足るものなのだろうか、という点にある。また、もしもその真実性が保障されるとするならば、その記事がどれだけ客観的にものごとを捉えているかが問題となってくるだろう。
先程あげた3点の主要なマスメディアにおいて、雑誌だけは、多少、性質を異にしている、と私は考える。雑誌は、テレビニュースや、新聞とは違って、主観性、誇張表現、著者の予想記事、などが数多く含まれている。実際本屋に出向き、様々な種類の雑誌を手にとってみても、その様相が良くわかる。それは、雑誌の種類の多さから、買う人が雑誌を選んで買う、といった選択ができることに起因するだろう。逆に、新聞やテレビ放送といえば、種類は限られていて、ある意味独占市場であるといっても過言ではない。このような中、新聞や、テレビニュースは誤報や主観性の入った記事や放送などがあった場合にはすぐに問題になってしまう。その典型的な例が、資料に用いた、2005年1月12日の朝刊の一面を飾ったNHKの番組改編問題である。
私たちは、普段マスコミを通じて情報を入手している。もちろん、国内で起こったことに限らず、海外で起こったことも基本的にはマスコミを媒介として、あれこれ情報を得ていることになるだろう。海外で、事件が起こったからといってわざわざ現地まで赴き自分の目で、ことの真相を確かめようとする人などごくわずかであり、そのような活動をする者といっても、ジャーナリストか記者くらいであろう。そうすると、私たちが普段から情報を得る媒体であるはずの、新聞、テレビニュース、雑誌などの役割は非常に大きなものであるのは間違いないだろう。
そこで、私たちが日々疑問に思うことといえば、その媒体であるマスメディアは果たして信ずるに足るものなのだろうか、という点にある。また、もしもその真実性が保障されるとするならば、その記事がどれだけ客観的にものごとを捉えているかが問題となってくるだろう。
先程あげた3点の主要なマスメディアにおいて、雑誌だけは、多少、性質を異にしている、と私は考える。雑誌は、テレビニュースや、新聞とは違って、主観性、誇張表現、著者の予想記事、などが数多く含まれている。実際本屋に出向き、様々な種類の雑誌を手...