表現の自由は、人の内心の精神作用を、外部に向かって公表する精神活動の自由のことをいい、精神的自由権の典型とも言うべき権利である。民主主義にあっては、政治上の意思決定は終局的には国民によってなされることとなるが、適切な意思決定をなすには、その前提として十分な情報とそれに基づく議論が必要となる。情報を得、また議論をなすためには表現の自由は必要不可欠な権利である。いわば、表現の自由は、民主主義の根幹をなしているといえよう。
表現の自由に由来するものとして、国民が自由に情報を受取る権利としての知る権利があげられる。たとえ表現の自由を保障したとしても、それを受取る側の受取る自由が確保されなければ無意味になるからである。国などに対して情報の提供を求める権利としての知る権利は、国民主権の原理に直接に基礎付けられる。国民主権の重大な意味の一つに、国政の最終決定権を国民が有することがあるが、最終決定権の行使にはその前提として、判断の材料となる情報が与えられていなくてはならず、これを提供することは国の責務と考えられるからである。
また、報道の自由の前提として取材の自由も憲法上肯定されるという説が有力となっている。取材は、報道にとって必要不可欠の前提をなす行為であり、取材活動は公権力の介入から自由に行えるように保障されなければならない。「取材の自由」が問題になるのは公正な裁判との調整の際で、石井記者事件などがあげられる。
石井記者事件では、刑事裁判における取材源秘匿が問題となった。新聞記者が刑事手続きに証人として召喚されたが、取材源秘匿のために証言を拒否し、自らが起訴された(証言拒否罪)という事案である。報道者に憲法21条を根拠とする証言拒絶権(狭義の取材源秘匿権)が認められるか問題となった。
表現の自由について
表現の自由は、人の内心の精神作用を、外部に向かって公表する精神活動の自由のことをいい、精神的自由権の典型とも言うべき権利である。民主主義にあっては、政治上の意思決定は終局的には国民によってなされることとなるが、適切な意思決定をなすには、その前提として十分な情報とそれに基づく議論が必要となる。情報を得、また議論をなすためには表現の自由は必要不可欠な権利である。いわば、表現の自由は、民主主義の根幹をなしているといえよう。
表現の自由に由来するものとして、国民が自由に情報を受取る権利としての知る権利があげられる。たとえ表現の自由を保障したとしても、それを受取る側の受取る自由が確保...