児童福祉から子ども家庭福祉への歴史的経過

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    資料紹介

     我が国初の児童救済事業は、聖徳太子が仏教思想に基づいて建立した四箇院の内の一つ、悲田院といわれている。室町から戦国時代にかけて、キリスト教宣教師のザビエル、アルメイダなどによる孤児、捨て子の救済が行われた。江戸時代に入ってからは、幕府は1690年棄児禁止令、1767年間引き禁止令を発布した。.........
    保育事業では赤沢鐘美による託児所(1890年)が我が国初といわれている。プロテスタントの野口幽香、斎藤(森島)峰によって東京四谷のスラム街に二葉幼稚園(1900年)が設けられた。障害児に対しては、盲ろうあ児の教育が1890年小学校令において初めて制度化された。施設は1878年京都盲聾院、1880年東京楽善会が先駆的である。石井亮一が知的障害児のために滝乃川学園(1890年)を設立。濃尾大地震の折、東京に連れて帰った20余人の女子の内2名が知的障害であったことがきっかけとなった。.....
    「福祉」の英訳は「ウェルフェア」と「ウェルビーイング」の二つある。「ウェルフェア」はアメリカのカドゥシンによる「3つのS」におおむね該当する。「3つのS」とは、「支援」児童の発達上の障害や問題の軽減、除去のための養育支援など。「補完」発達上の障害や問題のある児童の養育の補完など。「代替」発達上の障害や問題のある児童の養育の代替などである。
    支援する対象も変化している。児童福祉では児童を対象とした福祉であった。現在「児童福祉」から「子ども家庭福祉」に転換している。それは子どものいる家庭全部を支援していくということ、安心して子どもを生み育てられるよう支援していくことに他ならない。

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    我が国初の児童救済事業は、聖徳太子が仏教思想に基づいて建立した四箇院の内の一つ、悲田院といわれている。室町から戦国時代にかけて、キリスト教宣教師のザビエル、アルメイダなどによる孤児、捨て子の救済が行われた。江戸時代に入ってからは、幕府は1690年棄児禁止令、1767年間引き禁止令を発布した。
     明治時代の代表的な救済制度は恤救規則(1874年)である。しかし恤救規則は親族救済、隣保相扶による救済が前提であり、その不備を補う形で、多くの篤志家が救済活動を行っている。孤児、棄児に対するものは、カソリック教徒による慈仁堂(1872年)、浦上養育院(1874年)。プロテスタントの石井十次による岡山孤児院(1887年)、同じくプロテスタントの小橋勝之助による博愛社(1890年)などが挙げられる。
    非行、犯罪の児童に対する対応として、この事業の初めといわれるのが池上雪江による神道祈祷所(1884年)である。高橋真卿による私立予備感化院(1885年)、プロテスタントの富岡幸助による家庭学校(1899年)がある。この富岡幸助は「犯罪者となる要因は少年時代にある。感化教育事業を行わない限り成人の犯罪は少...

    コメント6件

    maruko05 購入
    とてもよくまとまっており、大変参考になりました。
    2005/10/20 21:53 (19年前)

    cloudys 購入
    少々間違いが気になりましたが、参考にさせてもらいました。
    2005/10/29 21:44 (19年前)

    lalala 購入
    参考になりました
    2006/05/19 8:34 (18年5ヶ月前)

    maruyoko2 購入
    良くまとまっており、参考にさせていただきます。
    2006/09/14 9:00 (18年2ヶ月前)

    pura48 購入
    参考にさせていただきました。
    2006/10/13 23:00 (18年1ヶ月前)

    yukiarashi 購入
    参考になりました。
    2006/11/18 20:51 (18年前)

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