連関資料 :: 性同一性障害について

資料:7件

  • 同一障害について
  • 性同一性障害について 私は、教育心理学の授業で一番興味を引かれたのは性同一性障害の内容である。これは、自分が身体的、社会的にどちらの性別であるかを認識していながら、精神的には自分自身の身体的、社会的な性別に違和感を抱き、または反対の性別に属していると感じ、それにより強い精神的な葛藤をおぼえ、身体的及び社会的な性別や性役割を精神の性に合わせようとする、精神の性別と生まれ育てられてきた性別との間に生ずる適応の障害というものである。つまり、生物学的には男(女)とされている人が精神的には女(男)であると言うことである。 では、この障害の原因はなんなのか?調べたところ次のようなことが分かった、「少し前までは、生まれてから3~5才位までの間に精神の性別は獲得されるものでその時に性別の正しい獲得ができなかったのではないかという説と、動物実験などから脳の性別の分化は胎児期に起こり何らかの原因(母体へのストレスやある種の薬物など)が、それを妨げたのではないかという説の2つがあった。しかし、生まれつきに曖昧な性別になってしまうある種の病気の人達の研究や、子供の時に事故でペニスを失ったため、女性として育てられたが上手く適応できなかった人の例から、近年では、前者の説は少々不利になっている。そして、最近の研究で脳の性差が少しずつ解明されてきており、胎児期の障害ではないかという後者の説が有利になってきている。以上の理由から現在は、胎児期、および生後1才半位までの間での性別獲得の時点で何らかの障害が起こったのであろうと考えられている。このことは性同一性障害が本人の意志の介在する前に原因があって起こることを示し、また、その原因が不明な点から親の責任ともいえない。」ということであった。これは、授業内のフロイトの説にあった発達の早い段階で確立されるというのが理解できる。 そこでわたしは、一つ疑問に思った。この障害と同性愛は一緒なのではないかと。最初聞いた時はそう考えたが、それはだいぶ違うようだ。なぜなら、同性愛というのは、自分の性別には違和感がなく、恋愛の対象が同性に向くことであるからだ。すなわち、恋愛の対象となる性別の問題である。それに対し、性同一性障害は自分の身体はどちらの性別に属しているかをわかっているのに、心ではその性別であることに不快感や嫌悪感を抱く、性別の自己認識の問題ということ。つまり、同性愛と性同一性障害とでは次元の違う問題である。性同一性障害では男性(女性)から女性(男性)になりたいのだが、女性(男性)が恋愛の対象であるというような、性同一性障害であり、かつ同性愛でもあるといったこともあるということだ。だいぶ、性同一性障害のことを勘違いしていたようだ。ただ、このような勘違いは一般の人にとっては普通だと思う。むしろおかまとか、ニューハーフなどの人たちのことも性同一性障害と思っているはずだ。たしかに、それを持った人もいるはずだがそういう言葉は広い意味で使われているのであまり勘違いしないほうがいいと私は思う。 また治療法についても調べてみたところ次のことが分かった、「性同一性障害を治すと言うことは、身体の性別に精神の性別を合わせるというものと、精神の性別に身体の性別を合わせるというものの2通りの方法が考えられる。 過去には、同性愛の人や性同一性障害を性欲の異常と考え世界的に多くの治療が行われた時期がありました。例えば、同性のポルノ写真を見せ、興奮をしたら電気ショックを与えたり、興奮するタイミングを見計らって吐き気を催す薬を飲ませるといった嫌悪療法。男性ホルモンの働きを防
  • 性同一障害
  • 550 販売中 2007/12/24
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  • 同一障害
  • 性同一性「障害」  「性同一性障害」という言葉に、いつもながら引っかかりを感じる。いうまでもなく、これはgender identity disorderという英語の医学用語の直訳であり、日本においてはdisorderは「障害」と訳されるのが医学界の定訳ということであるから、そこに深い意味が込められているということは、おそらくないであろう。  にもかかわらず、この「障害」という言葉に違和感を感じるのはなぜか。ここで当然に、「障害者」という言葉に突き当たる。そして、この違和感を分析すると、次の二つの要素に分けることができる。  一つは、性同一性障害者は「障害者」ではない、という違和感。  もう一つは、「障害者」が「健常者」でないということから来る違和感。  まず、第一の点について、たとえば同性愛が米国において、かつては精神疾患と考えられていた。しかし、現行のDSM-IVという診断基準マニュアルでは、同性愛は精神疾患とは考えられていない。この根底には、一般に思われているようには異性愛は自明のものではなく、同性愛も異性愛も性(性的指向)の多様なあり方の一つに過ぎない、という考え方がある。  こ
  • 全体公開 2007/12/21
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  • トランスジェンダーと同一障害
  • トランスジェンダーと性同一性障害  近年、「トランスジェンダー」と「性同一性障害」という言葉が使われるにあたって、混乱が激しくなっているように思う。前者は社会学的な用語で、後者は医学的な用語であるが、この二つの用語は、時にはほぼ同一の意味で用いられ、時には異なった意味で用いられる。  例えば、「トランスジェンダー」の語に、ホルモン療法などの医療行為を受ける人、という意味をもたせることが通例になる一方、逆に医学的な診断を受けず、医学的な処置を望まない者が「性同一性障害」を名乗ることの是非が論じられたりする。  では、なぜこのような混乱が生じたのか。  一つに、近年において「トランスジェンダー」よりも「性同一性障害」が用いられることが多くなり、本来「トランスジェンダー」というべきところを「性同一性障害」ということによるように思える。とりわけ1996年の埼玉医科大学による、「合法的な」性同一性障害治療の解禁以来のことであろうが、性別の越境という社会的事象について、近年は医学的な関心からの理解が、社会学的な意味での理解を上回っている。  しかし、性別の越境は、性同一性障害によるものに限られない。また、性同一性障害をもつ者が、医学的な意味でなく、社会的に性別の越境を試みる場合、これは医学とは別次元の行動である。  もっとも、医学はそれ自体独立した存在ではなく、社会的な存在である。つまり、医学は絶えず社会によって意味づけられ、逆に社会現象を意味づける。  そんなわけで、本文ではこの二つの用語の関係を再検討してみようと思うが、ここでは必然的に、医学と社会の関係を問わざるを得ない。すなわち、医学と社会の関係を整理することが、この二つの用語の用法の混乱を収束させる手がかりとなる。 *   *   *  「トランスジェンダー」(transgender, transgendered,TG)という用語を初めて耳にした方でなければ、この語が広義と狭義の二つの意味を持ち合わせていることはご存じかと思う。  一般的な理解で言えば、広義の「トランスジェンダー」とは、社会学的に見て、広く性別の越境を試みる者、を意味する。いわゆるTV(transvestite,異性の服装を身につける者)、TS(transsexual,性同一性障害をもつ者で、身体的性別の改変を望む者)、狭義のTG(後述)を包含する。その動機は、後述の「性同一性障害」によるものでなくとも、同性愛やフェティシズムによるものを含むほか、メンズ・ウィメンズリブなど思想的な動機によるもの、文化的背景に基づくものをも含みうる。  一方、狭義の「トランスジェンダー」とは、性同一性障害を持つ者のうち、性別適合手術(sexual reassignment surgery,俗に性転換手術と称される)を望まない者をいう。  そして、「性同一性障害」(gender identity disorder)とは、医学的にみて、外性器や染色体などから判断される身体的性別(sex)と、性自認(gender identity)すなわち自分が男女どちらの性別に属するかという認識に、不一致がある状態をいう。  ここで前提として、「トランスジェンダー」「性同一性障害」の各々の用語が、日本において使われてきた文脈を簡単に見てみる。  私の知る限りで、「トランスジェンダー」の語が日本で最初に使われたのは、渡辺恒夫『トランス・ジェンダーの文化』(1987)である。もっとも、この著作は漫画など文化的な性別越境を広く扱っていて、今日に言う「トランスジェンダー」とは、
  • 全体公開 2007/12/21
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  • 解離同一障害当事者から[傷つきやすい私たち]
  • DSM-4 A 2つ以上の異なる自我同一性または人格状態の存在(その各々は、環境および自己について知覚し、かかわり、思考する比較的持続する独自の様式をもっている)。 B これらの同一性または人格状態の少なくとも2つが反復的に患者の行動を統制する。 C 重要な個人的情報の想起が不可能であり、ふつうの物忘れで説明できないほど強い。 D この障害は、物質(例:アルコール中毒時のブラックアウトまたは混乱した行動)または他の一般身体疾患(例:複雑部分発作)の直接的な生理学的作用によるものではない 注:子供の場合、その症状が、想像上の遊び仲間または他の空想的遊びに由来するものではない 解りやすく言うと一人の人間のなかに同一性(多面性)として存在する物とは別の人格が存在する、と言うこと。  解離性同一性障害のことをはじめて知ったのは、まだ多重人格と呼ばれていたころのことです。私は個人的に読書が好きで、さらに体が弱かったものですから、幼いころから多くの時間を本と共に過ごしてきました。 解離性同一性障害とはお話やゲームのネタとして、神秘的、かつ面白いようでかなり脚色して書かれていました。解離性同一障害の方には大変腹立たしいことだとは思いますが、多重人格に憧れをもつ人間もいます。最近はテレビなどでもドキュメンタリーが放送され、広く一般に名前が知られる病気だと思います。ですがその名前の知名度に対し、その本質や治療の困難さはあまり知られていないと感じています。
  • レポート 心理学 DSM-4 解離性同一性障害 同一性 多面性
  • 550 販売中 2006/08/20
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