フランスの哲学者にして数学者にして物理学者であるブレーズ=パスカル。彼の死後、遺稿が整理され出版されたものである『パンセ』を読んでいて、ふと感じたことがあったのである。
なんと聖書からの引用が多いことか。
私はこのときから、常に『パンセ』を読むときにはキリスト教とのつながりを意識するようになった。本レポートではパスカルの思想についてキリスト教との関係という観点から述べていくことにする。
彼の神への信仰の深さはいたるところに見られる。極端ではないかと思われるぐらいに。懐疑論的な考えや、独断論的な考え、そしてパスカルの考えによっても解決されないような難問の大部分は神によって解決される。いや、むしろすべてのことがと言ってもよい。懐疑論者であれ、独断論者であれ、あるいはそれらに属さない人であれ、パスカルは彼らを批判し、指摘し、そしてその解決を大いなる神にさせてしまう。例えば、よく議論に上がる、真理の在り処に関しては、私たちの手の届くところにはなく、ただ神の懐にのみ宿っていると断言し、私たちは神が私たちに与えてくれるほんの少しの真理のみ知ることができると述べている。
また、彼の信仰は他の宗教に対する記述にも現れる。相反する宗教が存在する場合、もしその一つが自分にとって正しいなら、他のものはすべて間違ったものになると述べているが、それはつまりキリスト教を信仰しているパスカルにとって、相反する他の宗教が偽りの宗教であると述べているのと同じことである。また、イスラム教徒であるトルコ人を「異端者」や「異教徒」と呼び、明らかに遠くへ置く態度を示しており、彼らは先入観のせいで自分の生き方を決めてしまっていてかわいそうだとさえ述べている。
さて、彼の思想についてだが、彼の思想の一つに、無限な前においては有限なもの同士の間に差などない、というものがある。
月曜二限「パスカルを読む」レポート
~パスカルとキリスト教~
フランスの哲学者にして数学者にして物理学者であるブレーズ=パスカル。彼の死後、遺稿が整理され出版されたものである『パンセ』を読んでいて、ふと感じたことがあったのである。
なんと聖書からの引用が多いことか。
私はこのときから、常に『パンセ』を読むときにはキリスト教とのつながりを意識するようになった。本レポートではパスカルの思想についてキリスト教との関係という観点から述べていくことにする。
彼の神への信仰の深さはいたるところに見られる。極端ではないかと思われるぐらいに。懐疑論的な考えや、独断論的な考え、そしてパスカルの考えによっても解決されないような難問の大部分は神によって解決される。いや、むしろすべてのことがと言ってもよい。懐疑論者であれ、独断論者であれ、あるいはそれらに属さない人であれ、パスカルは彼らを批判し、指摘し、そしてその解決を大いなる神にさせてしまう。例えば、よく議論に上がる、真理の在り処に関しては、私たちの手の届くところにはなく、ただ神の懐にのみ宿っていると断言し、私たちは神が私たちに与えてくれるほんの少し...