タイとアメリカにおける日本の自動車産業多国籍企業の資金調達と日本の多国籍銀行の関係について

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    資料紹介

    1997年7月2日、タイは「通貨バスケット方式」から「管理フロート方式」に移行した。これにより、1ドル26バーツであったタイバーツの為替が一時54バーツにまで暴落した。このタイバーツの暴落は国内のバブル崩壊と絡まってタイの経済、ひいては自動車産業に大きな打撃を与えた。タイのファイナンス・カンパニーが97年中に91社中56社も営業停止となり、従来の自動車販売に伴ってつけられるオートローンの供給が停止されたため自動車の売り上げは8割も減少した。これが日本から進出していた数百社の自動車部品メーカーに打撃をあたえることとなった。このようなタイの金融危機・通貨危機に対してトヨタとホンダをはじめとする日系自動車メーカーとその部品産業メーカーがファイナンス面でどのように対応したのか、またそれは国内のメインバンク・システムとどう関係しているのかを以下に述べたい。

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    『タイとアメリカにおける日本の自動車産業多国籍企業の資金調達と日本の多国籍銀行の関係について』
    1.タイと日系自動車産業のファイナンス
     1997年7月2日、タイは「通貨バスケット方式」から「管理フロート方式」に移行した。これにより、1ドル26バーツであったタイバーツの為替が一時54バーツにまで暴落した。このタイバーツの暴落は国内のバブル崩壊と絡まってタイの経済、ひいては自動車産業に大きな打撃を与えた。タイのファイナンス・カンパニーが97年中に91社中56社も営業停止となり、従来の自動車販売に伴ってつけられるオートローンの供給が停止されたため自動車の売り上げは8割も減少した。これが日本から進出していた数百社の自動車部品メーカーに打撃をあたえることとなった。このようなタイの金融危機・通貨危機に対してトヨタとホンダをはじめとする日系自動車メーカーとその部品産業メーカーがファイナンス面でどのように対応したのか、またそれは国内のメインバンク・システムとどう関係しているのかを以下に述べたい。
     タイ経済はかつての低賃金を利用した輸出加工国から、国内経済成長による国内市場の拡大へと表面的には順調な...

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