今回私が鑑賞したのは、この春の季節に相応しい『田村』の能から始まり、続いて『鬼瓦』の狂言、そして『安達原』の三作品である。能と狂言は室町時代以来密接に関わり、互いに発展していったが、今回の作品の随所にもそのような点が見受けられる。三作品をそれぞれ紹介しながら、その関わりがどのように表れているか述べてみたい。
最初を飾る『田村』は、坂上田村麻呂の武勇伝を語った修羅物であるが、三大修羅物と呼ばれる『八島』『箙』とは趣が異なる。修羅能では戦い苦しんだ主人公が、成仏を求めて現世に戻るという様式が一般的だが、『田村』に関してはそのような様式が見受けられない。この『田村』に関して里井陸郎氏は、
征夷大将軍坂上田村麻呂の颯爽とした戦
いを、加護し、怱ちにして鬼神を平げし
めた観音の神秘な功徳を語るところにあ
った
と述べている。(参考文献①三五頁)
このことを証明するかのように前半では、
観音信仰の聖地・清水寺付近の美しい春景色を童子の姿の坂上田村麻呂が謡い、後半にこの観音の力によって激動の争いに勝ち抜いた坂上田村麻呂が勇壮な舞を舞う。悲壮観は全くないのである...