狂言の歴史的展開とその特質

閲覧数1,878
ダウンロード数9
履歴確認

    • ページ数 : 6ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    狂言は能と共に「能楽」と呼ばれ、現在伝統芸能と一つとして親しまれているが、能も狂言も「猿楽」を源流としている。能とは対照的とも言える狂言はどのように生まれ、伝統芸能として成立したのだろうか。

     奈良時代、中国から曲芸・奇術・歌舞といった種類の卑俗な大衆芸能、散楽が伝えられた。これが平安時代になると、更に滑稽さは増し、散楽の「散」が「サル」と発音が似ていた為「猿楽」と呼ばれるようになっていた。

     これが鎌倉後期頃、能と狂言という二つの芸能に分かれるのであるが、その歌舞的な要素を継いだのが能であり、その滑稽さを追求したものが狂言であると考えられている。

     実際の記録として、建武元年(一三三四)四月八日の丹後国分寺再興の際、一番と三番の連事の合間に、

      二番 咲 覚空坊 寂浄坊 楽順坊

    とある。これより三人で滑稽な芸(をかし)が演じられたことが推測され、この頃より劇として成立していたと考えられる。

     そして観応三年(一三五二)三月一六日の『周防国仁平寺本藤供養日記』では、

      十一番狂言 山臥説法 人数別紙有之

    と「狂言」という記載が見つけられる。

     また永和元年(一三七...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。