文学と芸術は、日本においても古代から関わりがあり、発展してきた。
加藤周一氏は、日本の芸術家と社会との関係性には二つの型がある、と論じている。(参考文献①)一つは平安時代のように芸術がその社会の中で生きてゆく為に必要不可欠なものであった平安時代タイプである。またもう一つは鎌倉時代から室町時代に起こった芸術家の「疎外」現象タイプである。江戸時代には再び平安時代タイプとなるが、明治以降にはまた「疎外」現象が起こり、今日に至っているというものである。
開国した日本は明治維新後、発展国に追いつこうと急速に西欧文化を摂取するようになる。しかしそれはまず工業化を図る事が第一条件であった。人は皆平等であるという思想が生まれ、芸術的な文化と折り合うことは困難な思想であった。よってこの時代の芸術家達に「疎外」を感じながら生きていた者は、多くいたであろう。
有島武郎(一八七八~一九二三)は白樺派に属していた。彼らは多くの西洋の美術作品に接する事により、技術ではなく精神としての西洋を捉えた作品を残し、後世に大きな影響を及ぼした。それは身分制度が崩壊した日本の社会に、具体的に個人主義の思想を示す事にもつ...