ゲッティンゲン大学7教授事件と第一回ゲルマニスト会議の報告と主張

閲覧数1,368
ダウンロード数0
履歴確認

    • ページ数 : 5ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    時を経て1830年、グリム兄弟は共にハノーヴァー王国のゲッティンゲン大学の教授となっていた。

     1837年、ハノーヴァー王国を支配していたヴィルヘルム4世が死去すると、代わってその弟のアウグスト2世が国を支配することとなる。しかし、アウグストは1833年に兄ヴィルヘルムが制定した憲法を民主的で自由すぎるとみなし、11月1日に廃止した。

     憲法に従って王となった本人アウグストが自らその憲法を無視したと、意義を唱えたゲッティンゲン大学の教授7名は、免職ないし国外追放された。この事件をゲッティンゲン大学七教授事件と呼ぶ。そのメンバー7人の中に、グリム兄弟も含まれていた。

     憲法廃止を知ったヤーコプはすぐさま、国の憲法が廃止にさらされていることが、自らの職務の立場からも矛盾し、人間の尊厳が独裁者によって壊されると、行動に出ることを訴えた。ゲッティンゲン大学の教授は当時450名いた。その中で王に反対することにより、地位を脅かされることを恐れず「法は法であらねばならない」と、大学の王立大学管理局へ抗議したのが以下の7名の教授だった。

     ヤーコプ、ダールマン、ゲルヴィーヌス、ヴィルヘルム、ア...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。