小津安二郎監督の作品には「お早う」や「東京物語」などに代表される、いわゆる小津的作品のほかに、劇的作品といわれる映画がある。「風の中の牝鶏」は後者の劇的作品に該当する作品であり、本来の小津的作品とはまったく違うものであるといえよう。
「風の中の牝鶏」と小津的作品を比べるには、まず小津的作品がどういうものなのかを理解しなければならない。小津的作品とは、ストーリー性がなく人々の平穏な日常を描いているものが多い。その中で小津監督は「反復とずれ」を軸にしてストーリーを進めていく。例えば小津的作品の一つである「お早う」では一つの団地の中での「噂話」や「家族内でのけんか」などの日常的な風景、そしてそれの繰り返しが描かれている。そのなかで二人の兄弟がいかに成長していったかがこの作品の中での「反復とずれ」であるといえよう。
しかし劇的作品である「風の中の牝鶏」では、同じ小津監督の作品でも小津的作品とはまったく違う、異質なものが描かれている。「風の中の牝鶏」の大きな特徴は、小津的作品とは違いストーリーがはっきりとしているところだ。小津監督の主張がしっかりと描かれており、それゆえに「反復とずれ」という軸から完全に外れてしまっている。そこにストーリー性、ドラマ性が生まれ、劇的作品と言われる作品になるのである。
この映画では妻が子供のために売春をしてしまうという、あまり日常的ではない出来事が描かれている。それは取り返しのつかないことであり、日常には戻れなくなる出来事だ。そのため夫は妻を許す事ができず、平凡な日常に戻る事ができない。
「風の中の牝鶏」と「小津的作品」の比較
小津安二郎監督の作品には「お早う」や「東京物語」などに代表される、いわゆる小津的作品のほかに、劇的作品といわれる映画がある。「風の中の牝鶏」は後者の劇的作品に該当する作品であり、本来の小津的作品とはまったく違うものであるといえよう。
「風の中の牝鶏」と小津的作品を比べるには、まず小津的作品がどういうものなのかを理解しなければならない。小津的作品とは、ストーリー性がなく人々の平穏な日常を描いているものが多い。その中で小津監督は「反復とずれ」を軸にしてストーリーを進めていく。例えば小津的作品の一つである「お早う」では一つの団地の中での「噂話」や「家族内でのけ...