教職をとらえる3つの視点とは、教師聖職者論、教師労働者論、教師専門職論である。これら論の差はどこにあり、またこれら3つの論などを経て、今どう考えられているだろうか。
教師聖職者論とは、教師は、天から与えられた天職だという考え方である。「順良・信愛・威重」の気質を持つことを要求され、ひたすらに教育という崇高な使命に邁進すべきであり、献身的な職務態度を要求される。営利を追ってはならず、経済的報酬に固持することなく薄給に甘んじてこそ「道」を説けるのであり、積極的に奉仕的実践をすることが理想である。
教師労働者論とは、1960年代、教員組合運動を基盤として広り、教師も人間としてその生活を充実、向上させる要求を持つことは当然であるという考え方である。しかし、教員が大量に採用されデモシカ先生と呼ばれる先生が出現し、教員の質が問われるようになった。サラリーマン化した教員に対し、使命感を忘れたのかという批判は多い。現在でもなお、「聖職者」と「労働者」の葛藤はある。
教師専門職者論とは、高い教養と能力の上に特殊な専門技術が積み上げられた職業という考え方であり、教師の専門性 ( 人間的・教育学的・技術的資質 ) を科学的に解明しようとする立場を取る。実際に、1966年ILO・ユネスコ共同勧告の「教師の地位に関する勧告」では、「教師は、専門職でなければならない」と規程されている。また、大学レベルでの教員養成、教職の科学化、技術の重要性を強調している。
では最後に、「職業として社会制度として成立した教職」という視点から考えてみたい。どのような経過で教職は成立したのか。
教職をとらえる3つの視点とは、教師聖職者論、教師労働者論、教師専門職論である。これら論の差はどこにあり、またこれら3つの論などを経て、今どう考えられているだろうか。
教師聖職者論とは、教師は、天から与えられた天職だという考え方である。「順良・信愛・威重」の気質を持つことを要求され、ひたすらに教育という崇高な使命に邁進すべきであり、献身的な職務態度を要求される。営利を追ってはならず、経済的報酬に固持することなく薄給に甘んじてこそ「道」を説けるのであり、積極的に奉仕的実践をすることが理想である。
教師労働者論とは、1960年代、教員組合運動を基盤として広り、教師も人間としてその生活を充実、向上させ...