踊念仏の意義と受けた批判

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    資料紹介

     踊念仏を見ていくにあたって、まず一遍が捨て聖と呼ばれていることから考えていきたい。家を捨て、妻子を捨て、衣食住を捨て、世を捨て、寺を捨て、経典を捨て、わが身を捨て、わが心を捨て、捨てる心まで捨てつくした。一遍の捨てる思想と実践は、十一不二頌から必然的に生まれ出たものである。一遍が十一不二頌という信念を確立したのは伊予の国窪寺でのことであった。信濃の国の善光寺に参籠した時に描いた二河白道の譬えを窪寺の庵室に掲げて本尊とし、「万時をなげすてて。専称名す。」という状態で専修念仏の生活に入った。二河白道の譬えというのは、救いを求める衆生が、人間のむさぼる心を喩えた水の河と、怒り憎む心を喩えた火の河に悩まされながら、中間の足の幅ほどばかりの白道を渡って、東岸(穢土)から西岸(浄土)へ渡ることを意味する喩えである。この時、衆生を送り出す釈迦が東岸に立ち、迎え入れる阿弥陀仏が西岸にいて、二河の恐ろしさにひるむ衆生を励ましている。これは、善導が『観無量寿経疏』散善義の廻向発願心の項で説いた、念仏信仰の具体的な心境を表現した喩えである。これを絵図に表したのものが二河白道の図である。
     窪寺で3年の月日を送った一遍は、
    十劫正覚衆生界。一念往生弥陀国
    十一不二証無生 国界平等坐大会
    ということを悟る。十劫という遠い昔に法蔵菩薩は正しい仏の悟りを得て南無阿弥陀仏になり、煩悩と迷いの世界にいる仏の救済の対象になるあらゆる生き物が往生できた。衆生は1回念仏を唱えることによって往生し、それと同時に法蔵菩薩は南無阿弥陀仏となる。十劫という遠い昔に法蔵菩薩が正しい悟りを得て南無阿弥陀仏になったことと一念往生とが同じということは、生も死もないことを悟るのである。南無阿弥陀仏の浄土に往生している者も、この衆生の世界に生きている者も、南無阿弥陀仏が説法する集会でみることができる。

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    一遍踊念仏

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    踊念仏を見ていくにあたって、まず一遍が捨て聖と呼ばれていることから考えていきたい。家を捨て、妻子を捨て、衣食住を捨て、世を捨て、寺を捨て、経典を捨て、わが身を捨て、わが心を捨て、捨てる心まで捨てつくした。一遍の捨てる思想と実践は、十一不二頌から必然的に生まれ出たものである。一遍が十一不二頌という信念を確立したのは伊予の国窪寺でのことであった。信濃の国の善光寺に参籠した時に描いた二河白道の譬えを窪寺の庵室に掲げて本尊とし、「万時をなげすてて。専称名す。」という状態で専修念仏の生活に入った。二河白道の譬えというのは、救いを求める衆生が、人間のむさぼる心を喩えた水の河と、怒り憎む心を喩えた火の河に悩まされながら、中間の足の幅ほどばかりの白道を渡って、東岸(穢土)から西岸(浄土)へ渡ることを意味する喩えである。この時、衆生を送り出す釈迦が東岸に立ち、迎え入れる阿弥陀仏が西岸にいて、二河の恐ろしさにひるむ衆生を励ましている。これは、善導が『観無量寿経疏』散善義の廻向発願心の項で説いた、念仏信仰の具体的な心境を表現した喩えである。これを絵図に表したのものが二河白道の図である。
     窪寺で3年の月日を...

    コメント1件

    mioow926 購入
    ありがとうございました。
    2006/09/22 15:19 (18年1ヶ月前)

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