1.はじめに
1945年8月15日に太平洋戦争は終戦を迎え、日本はGHQ(連合国軍総司令部)による天皇と日本政府を通しての間接統治をされることになる。占領下の日本は、外交権を含む主権を失ったが、その間GHQとの間で濃密な交渉が日常的に重ねられていき、戦後日本社会の基礎と骨格が決定された。その中でも戦後日本の国際的位置を基本的に定めたという点で吉田茂の外交が果たした役割は大きい。
本稿では、第二次〜第五次吉田内閣(1948年10月19日〜54年12月10日)の日米外交を踏み込んで見ることによって、戦後の新しい国家像(吉田ドクトリン)が形成されていったのかを明らかにしていきたい。
「吉田政権下における日米外交」
目次
1.はじめに
2.吉田茂について
(1)吉田茂の略歴
(2)吉田ドクトリンとは
(3)吉田内閣の政治基盤について
3.冷戦の開始
4.講和条約調印まで
(1)朝鮮戦争の開始
(2)講和交渉と安全保障問題
(3)サンフランシスコ講和の光と影
5.サンフランシスコ講和以後
6.おわりに
参考・引用文献
1.はじめに
1945年8月15日に太平洋戦争は終戦を迎え、日本はGHQ(連合国軍総司令部)による天皇と日本政府を通しての間接統治をされることになる。占領下の日本は、外交権を含む主権を失ったが、その間GHQとの間で濃密な交渉が日常的に重ねられていき、戦後日本社会の基礎と骨格が決定された。その中でも戦後日本の国際的位置を基本的に定めたという点で吉田茂の外交が果たした役割は大きい。
本発表では、第二次~第五次吉田内閣(1948年10月19日~54年12月10日)の日米外交を踏み込んで見ることによって、戦後の新しい国家像(吉田ドクトリン)が形成されていったのかを明らかにしていきたい。
第二次から第五次吉田内閣は外交の観点から大きく分けて①1951年9...