資料:8件
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戦後日本外交史
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内容紹介
この「戦後日本外交史」は10年刻みの章立ての構成になっている。第一章は敗戦からの5年。第二章が50年代。そして60年代、70年代…と続いていく。第1章の始まりがユニークで、第二次世界大戦中にワシントンで準備された対日占領政策の形成から始まっている。第2章は特に吉田首相の講和条約と安保条約の締結を中心に書かれている。その後は岸信介の改憲再軍備と安保改定の激動の時代を描く。第3章は池田勇人の「国民所得倍増計画」と佐藤栄作の沖縄返還を中心に書かれている。4章はベトナム戦争、ニクソン・ショック、石油ショックという事件を経て、日本が外交政策の転換が求められた時代を書いている。第5章は国際国家としての使命を模索する日本を描く。大平正芳は西側の一員であるアイデンティティを明らかにし、中曽根康弘はG7サミットで世界をリードする。第6章は90年代の主な国際関係を中心に書かれている。すなわち、湾岸戦争、9.11テロ、そして自衛隊のイラク派遣である。日本はこのような危機をどのように乗り越えていくか。そして終章のこれからの日本に続く。
私は特に興味を持った、マッカーサーの日本統治、池田勇人の国民所得倍増計画と外交について論じていきたいと思う。
マッカーサーの日本統治
言わずとしれたマッカーサーである。確かに私自身マッカーサーという名前は日本史で習ったし、戦後を題材に取り上げたメディアは必ずと言っていいほどマッカーサーの名前が出てくる戦後日本にはかかせないアメリカ人である。私は彼の間接統治を評価したい。なぜなら現在日本が戦争に巻き込まれずにいて、平和憲法を作れたのも彼のおかげだと思うし、当時趨勢であった天皇制の廃止をくいとめ、象徴という形で日本に残した。つまりマッカーサーは現在の日本の土台を作ったのである。
私は特にマッカーサーの平和憲法をとりあげる。その2つの大きな柱として、天皇制の存続と、戦争放棄があるが、どちらもマッカーサーが熱く推したものである。
しかしなぜ彼は天皇制をおしたのであろうか。やはりそれは天皇というのは日本国民にとってはきわめて重要な人であったし、これを否定すると日本の統治が難しくなるという点を考慮したのが一つと、彼自身が昭和天皇と会談したとき、自らの責任に言及しつつ国民への配慮を求めた天皇の姿に感動したのがもう一つである。だが、世界の世論、むしろこれまでの敗戦国を見ると、必ずその国のトップは処罰されていた。アメリカ国内は天皇を侵略戦争の戦犯として処刑する意見が多かったし、オーストラリアを初め連合諸国にはもっと多かった。彼が天皇擁護方針を固めると対日統治を容易にはしたが、アメリカ国内を敵に回した。しかし彼はワシントンに的を射た判断を基に天皇制の存続を訴え、見事天皇制は日本国民の象徴として残ったのである。
もう一つのテーマとしてはなぜ、軍人であるマッカーサーは戦争の放棄を憲法に取り入れたがったのか。やはり軍人たる背景が挙げられるのは容易に想像がつく。つまりアメリカ文明のアジアへの移植を目指したのである。しかしそれよりも重要だったと私が思うのは、彼が当時置かれていた状況である。そのころは天皇制の存続はアメリカ本土側から否定されていた。しかし日本政府が戦争放棄によって平和化と民主化を実現すれば連合国も天皇制を含む新しい憲法を容認するのではないかと考えたからである。言い換えれば天皇制の存続の土台だったわけである。
池田勇人の国民所得倍増計画と外交
池田勇人は私が一番好きな政治家である。私はこれほどまでいい意味でも悪い意味でも現実的な政治家を見たことが
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レポート
国際関係
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戦間期の日本外交を独・伊・ソ各国との関係を中心に述べよ (外交史 分冊2)
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戦間期の日本外交を独・伊・ソ各国との関係を中心に述べよ。
この頃の日本は、国際連盟を脱退し、軍備条約を廃棄して、国際的孤立感を深めていた。そして、ヒトラー率いるドイツへの接近によって、孤立からの脱出を図ろうとする。
ドイツもまた日本と同じ年に国際連盟を脱退していた。
1936年に日本とドイツとの間で日独防共協定が結ばれたが、その目的は、共産主義拡大を阻止し、ソ連に対する軍事牽制を目的としたものであった。
日本がドイツと提携したことについて、有田外相はその国際的影響を楽観していたが、実際には、米・ソ・英の国々より予想以上の反感と不信を買うことになる。
さて、ドイツはムッソリーニ率いるイタリアとも仲が良く、日本は1937年10月イタリアとも防共協定を結んだ。日独伊防共協定の成立である。この年にイタリアも国際連盟を脱退し、三国はますます仲間意識を高めあうことになる。
ドイツは、日独伊三国防共協定を三国軍事同盟に発展させてはどうか?という提案をしてくる。つまり敵はソ連だけには限らないことにしようということである。
日本国内で、陸軍はコレに文句はなかったのだが、海軍はイギリスを師として発
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日露戦争の原因とその国際情勢および日本への影響 (外交史 分冊1)
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日露戦争の原因とその国際情勢および日本への影響
日露戦争は、1904年から1905年にかけて大日本帝国とロシア帝国が、朝鮮半島と満州(現在の中国東北部)を主戦場として戦った領土獲得戦争である。
この当時の世界は、{帝国主義の時代}で、軍隊や経済の力で他国や異文明を破壊し、植民地支配することがごく当たり前のように行われていた。(力こそがすべて)
そして、もっとも残酷に帝国主義を推進していたのが、白色人種のヨーロッパだった。
日本は、19世紀終盤頃まで260年もの間、鎖国していたこともあり、帝国主義の魔の手から逃れていたのだが、アメリカやロシアが強大な武力を背景にして開国を迫ると、安住していられなくなった。
そして開国した日本に待っていたのは究極の選択であり、白人の植民地になるか、又は黄色人種初の帝国主義国家に生まれ変わるかであった。そして、日本が選んだのは後者の方であり、その過程で日清戦争と日露戦争が起きたのである。
日清戦争も日露戦争も「朝鮮半島の帰属問題」が重要な焦点だったが、日清戦争で日本が勝利し、朝鮮半島が日本の保護領になったことから、ロシア、ドイツ、フランスが日本政府にねじ込ん
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