目次
1.はじめに
2.日中戦争の長期化
3.中国情勢を巡る日米対立
4.日米交渉の開始
5.おわりに
参考引用文献
1.はじめに
日本は1931年の満州事変以降、軍部が政治の主導権を握り、アジア大陸への軍事的発展を進めていき、無謀な対米戦争へ突入し敗れて、戦後再出発を図ることとなる。
日本は無謀な対米戦争を阻止する機会というものはあったのだろうか。本稿では以上を踏まえつつ、日米開戦に至る過程について中国情勢を巡る日米対立を交えながら述べていきたい。
日米開戦に至る過程について
目次
1.はじめに
2.日中戦争の長期化
3.中国情勢を巡る日米対立
4.日米交渉の開始
5.おわりに
1.はじめに
日本は1931年の満州事変以降、軍部が政治の主導権を握り、アジア大陸への軍事的発展を進めていき、無謀な対米戦争へ突入し敗れて、戦後再出発を図ることとなる。
歴史にもしもは禁物であるが、果たして日本は無謀な対米戦争を阻止する機会というものはあったのだろうか。このことを踏まえつつ、本稿では日米開戦に至る過程について中国情勢を巡る日米対立を交えながら述べていく。
2.日中戦争の長期化
日中戦争は1937(昭和12)年7月7日、北京郊外の盧溝橋で夜間演習をしていた日本軍が、何者かから射撃を加えられたことで始まった日中両軍の軍事衝突が発端になった。
この軍事衝突を巡って停戦への話し合いが始まり、局地紛争として処理されるに見えたが、この時日本陸軍の内部には「この機会に中国軍に対して鉄槌を加えるべし」という強硬論が有力になり、政府は華北への派兵を決定した。以後中国側に一撃を加えて、それによって華北での日本の基盤を固める必要があるという考え方が政府中央で...