パニックについて

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    資料紹介

     1965年(昭和40年)5月11日、当時大人気だった歌手、西郷輝彦のショーが、彼の地元、鹿児島で行われた。8千人収容の会場で1万2千人のファンが押し寄せたところに、一部のファン(ファンクラブの会員だと思われる)を優先して入場させたため、場外に並んでいた観客が怒り、2、3人が突然ブロックベイを乗り越えたのをきっかけに、ファンは甲高い声を上げながら入り口に殺到し、ガラス戸を壊した。整理に当たっていた警察官がいったん外に押し戻して、制止したが、再びどっと押し寄せてもみくちゃになった。この混乱で、整理に当たっていた警官一人が死亡、観客13人が負傷した。結局ショーは中止され、後日振り替えで行われた。
     新聞記事がひとつしか見当たらず、レポート題材として適切ではなかったかもしれないが、このようなひどい状態にはならなかったものの、個人的に似たような経験があり、また、暴動というのは大げさかもしれないが、その1つの典型例だと思ったので、あえてこの事件について記述したい。
     観客は皆、同じ「西郷輝彦のショーを見る」という目的で集まっていた。詳細は書いてないので不明だが、入場券が収容人数以上に売られていたことを考えると、多分、列の先頭から順に入場させる形だったのだろう。従って、単に、「西郷輝彦のショーを見る」のではなく、大部分が、「西郷輝彦のショーを前の方の、よく見えるところで見る」ことを目的とし、そのために列を作って並んでいたのだろう。そこに、一部のファンが優先して入場を許された。ショーを前で見るために早くから並んでいたのに、自分より後から来た人が、自分の大好きな人のショーを自分より前の方で見れる、という状況は、普通のファンなら怒ってしまって当然の状況である。そこに、2、3人のファンが突然ブロックベイを乗り越えた。これがいわゆる「きっかけ要因」である。それに続く形で他のファンも入り口に殺到した。

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    集団力学レポート
    1.1970年以前
    西郷輝彦ショー大混乱
     1965年(昭和40年)5月11日、当時大人気だった歌手、西郷輝彦のショーが、彼の地元、鹿児島で行われた。8千人収容の会場で1万2千人のファンが押し寄せたところに、一部のファン(ファンクラブの会員だと思われる)を優先して入場させたため、場外に並んでいた観客が怒り、2、3人が突然ブロックベイを乗り越えたのをきっかけに、ファンは甲高い声を上げながら入り口に殺到し、ガラス戸を壊した。整理に当たっていた警察官がいったん外に押し戻して、制止したが、再びどっと押し寄せてもみくちゃになった。この混乱で、整理に当たっていた警官一人が死亡、観客13人が負傷した。結局ショーは中止され、後日振り替えで行われた。
     新聞記事がひとつしか見当たらず、レポート題材として適切ではなかったかもしれないが、このようなひどい状態にはならなかったものの、個人的に似たような経験があり、また、暴動というのは大げさかもしれないが、その1つの典型例だと思ったので、あえてこの事件について記述したい。
     観客は皆、同じ「西郷輝彦のショーを見る」という目的で集まっていた。詳細...

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