連関資料 :: ラフカディオ・ハーンと夏目漱石を知る

資料:2件

  • ラフカディオハーン夏目漱石知る
  •  私がこの基礎セミナーを受けた中で一番印象に残ったことは旧制第五高等学校についてである。その中でも夏目漱石とラフカディオ・ハーン(小泉八雲)について興味を持ったので、このレポートではこの2人を中心に述べる。  旧制第五高等学校は明治20年に開校された、九州で最初にできた高等学校である。旧制高等学校とは、明治27年、当時の高等中学校を改組したもので、程度の高い高等普通教育を行う男子の学校のことで、修業期間は3年。第一高等学校(通称 一高、東京)、二高(仙台)、三高(京都)、四高(金沢)、五高(熊本)、六高(岡山)、七高(鹿児島)、八高(名古屋)の官立(国立)のほかに、それぞれの土地の名を冠した官立や私立の高校もあった。  ラフカディオ・ハーンは、1850年ギリシャのレフカダ島で生まれた。19才のときに渡米し、新聞記者などをし、40歳のときに日本に来て島根の松江中学校の英語教師となった。そして、明治24年11月19日にハーンは第五高校中学校の英語の教師として赴任してきた。ハーン41歳のときである。その当時の五校の校長は講道館柔道の創始者である嘉納治五郎であった。その素直な人柄にハーンは信頼を寄せていた。また、尊敬し父親のように慕っていたのは古武士的な風貌の漢学・倫理学の教授であった秋月胤永だった。ハーンは秋月胤永のことを「近づいただけで暖かくなる暖炉のような人」と語っていたようだ。ハーンが来熊した当時の熊本は、西南戦争(明治10年)の後で、戦争の焼け跡から復興し、急速に西洋化されつつあった殺風景な町であった。ハーンは古来の家並みが消え、近代化されつつある町並みに失望した。しかし、質実剛健で、感情をあまり表に現そうとしない熊本人魂や、路地裏の地蔵祭りなどの伝統的な風俗とか、飾らない行商人との会話などに特に興味をいだいていたようだ。
  • レポート 史学 ハーン 漱石 熊本
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