1.序論
最近、私はテキスト『クリティーク―国際関係学』という本の第九章「グローバル時代の報道とマスメディア」を勉強していた。その第九章の著者、大空(2001)によると「情報には『色』がついている。国籍がある。客観報道やメディアの“不偏不党”が神話に過ぎないことを、私たちは日常の生活体験から肌で感じ取っている(p.180)。」ということである。それは私には考えられなかった。
なぜかというと情報は常に「中立」でなければならないし、客観報道をしないと意味はないと思ったからだ。私たちは、日々の生活で、数多くの報道に依存して生きている。もし、客観報道でなければ、私たちはどういうふうに生活をしていくのか。それは、考えれば考えるほど不思議だった。果たして、「客観報道」は本当にあり得ないのか。そこで私は本稿を通じて、世界の代表的な国々のメディアの報道を考察しようと思った。
2.客観報道の定義と分析
まず、客観報道に対して、原(1997)は「客観報道とは、ニュースの報道にジャーナリストの主観、意見を入れないことを言う(p.144)」と述べている。しかしその一方、メディアの客観報道に対して、小林(1965)は「純粋客観なんてことはありえない。むしろ……取材の初めから編集の終りまで、すべてこれ選択行為であり、極めて高度の主観活動だと言える。(p.80)」と述べている。
では、客観報道について、どちらの定義が正しいのであろうか。そこで、世界のメディアからのいくつかの例をみてみよう。
(1)ダイアナ妃の葬送イベントを事例として:
1997年8月31日にパリでダイアナ妃が事故死してから、英国では国民が政府、王室またメディアに対して大変不満であった。
客観報道
1.序論
最近、私はテキスト『クリティーク―国際関係学』という本の第九章「グローバル時代の報道とマスメディア」を勉強していた。その第九章の著者、大空(2001)によると「情報には『色』がついている。国籍がある。客観報道やメディアの“不偏不党”が神話に過ぎないことを、私たちは日常の生活体験から肌で感じ取っている(p.180)。」ということである。それは私には考えられなかった。
なぜかというと情報は常に「中立」でなければならないし、客観報道をしないと意味はないと思ったからだ。私たちは、日々の生活で、数多くの報道に依存して生きている。もし、客観報道でなければ、私たちはどういうふうに生活をしていくのか。それは、考えれば考えるほど不思議だった。果たして、「客観報道」は本当にあり得ないのか。そこで私は本稿を通じて、世界の代表的な国々のメディアの報道を考察しようと思った。
2.客観報道の定義と分析
まず、客観報道に対して、原(1997)は「客観報道とは、ニュースの報道にジャーナリストの主観、意見を入れないことを言う(p.144)」と述べている。しかしその一方、メディアの客観報道に対して、...