1.生物学と物理学の関係について
古代ギリシアでアリストテレスによって始められたのが発祥とされる生物学の根本的命題はいのちの解明にあった。その命題について16世紀ごろの哲学者デカルトは、生命の神秘的な現象、たとえば動物の動き、器官の様々な働きを機械の仕掛けと基本的には同じ原理であると考えた。生物は超複雑な機械で、生物と無生物の間に本質的な違いはないという「動物機械論」というこの考えが正しければ、生物学の研究が物理学や化学と同じ手法で行うことができることとなる。
このような機械論的自然観は、自然一般を対象にする自然科学的研究を活気づけ、とりわけ人間や動物の身体を対象にする自然科学的研究を活気づけることになる。人間の身体を機械として捉える研究方法は、18世紀末にイタリアのガルヴァニによって、いわゆる「動物電気」が発見されると、その有効性が強く確認されることになる。つまり、機械的にとりだされた電流を加えることによって、身体に筋肉収縮が生じることが発見され、また味覚や視覚などの感覚的な現象も、然るべきところに電流を流すによって生じることが発見されるのである。この発見は、「感覚」という、人間の意識に属する事柄が、物質の機械的な仕組みの効果として捉えられる、ということを意味するものであり、ここから今日の脳生理学まで、一本の軌道が敷かれることになるのである。このようにして、デカルトの打ち立てた機械論的自然観は、近代の自然科学的研究の基本軌道をなし、この自然観は、今日においても、自然科学的研究の領野においては、多くの場合、基本的な前提となっているように見える。
19世紀ごろ、生物の発生(受精卵から胎児までの形態などの変化)を、機械論的に説明しようという流れが現れた。それは精子や卵の中に胎児の形を見つけようとするものだった。
1.生物学と物理学の関係について
古代ギリシアでアリストテレスによって始められたのが発祥とされる生物学の根本的命題はいのちの解明にあった。その命題について16世紀ごろの哲学者デカルトは、生命の神秘的な現象、たとえば動物の動き、器官の様々な働きを機械の仕掛けと基本的には同じ原理であると考えた。生物は超複雑な機械で、生物と無生物の間に本質的な違いはないという「動物機械論」というこの考えが正しければ、生物学の研究が物理学や化学と同じ手法で行うことができることとなる。
このような機械論的自然観は、自然一般を対象にする自然科学的研究を活気づけ、とりわけ人間や動物の身体を対象にする自然科学的研究を活気づけることになる。人間の身体を機械として捉える研究方法は、18世紀末にイタリアのガルヴァニによって、いわゆる「動物電気」が発見されると、その有効性が強く確認されることになる。つまり、機械的にとりだされた電流を加えることによって、身体に筋肉収縮が生じることが発見され、また味覚や視覚などの感覚的な現象も、然るべきところに電流を流すによって生じることが発見されるのである。この発見は、「感覚」という、人間の意...