高校生の時点で自分に一体どのような仕事があっているか、とはっきり自分の中で定義する事に出来ている者はどの位存在するであろうか。私はさほど多くはないと断言する。ましてや現在は大学進学または専門学校を目指す方が多いと聞く。就職する道を選ぶ者も存在しない訳ではないが、公務員ならまだしも、民間企業に至っては選択の余地はさほど大きくないという、厳しい現実が待っている。全ての就職希望の高校生が希望通り、もしくは適正にあった職業に就ける保証などありはしない。妥協という選択をして就職するのも一つの手段だが、では妥協という一種の敗北の選択をして入った企業で長続き出来るのか、という問題が発生してくる。仕事中に嫌な思いをしたりした時、「ここの会社には望んで入ったのではない。妥協して入ったのだ」というような考えが頭をよぎる事も有るだろう。そこで自分の中にしっかりとした職業観・就労観が確立されているか否かが肝要となってくるのである。もしそれが存在しなければ、安易に退職の道を選び、非正社員という存在へ変貌するのである。何故働くのか。どんな簡単な答えでも良いので、高校生という時分の内に職業観・就労観に対する自分なりの答え、もしくはその原型を構築しておく必要があると私は考えている。学生という身分はあくまでも人生における通過点に過ぎない。生涯学習という言葉はあるものの、一生学生という身分のまま朽ち果てるという人間はそう存在しない。憲法にも労働の義務が存在するし、働くという行為は人生における必要な要素なのだから。
ただし、正社員として働く事とフリーターのようにアルバイターとして働く事とでは雲泥の差である。給料・福利厚生などの各保証の面でも差は大きいが、企業内能力開発によって経験を蓄積し、自分のものと出来る正社員と促成栽培でいつでも切り捨て可能というアルバイトとでは得られるものの違いからいってその差は歴然としている。
高校生に職業観・就労観をいかに意識させるか
高校生の時点で自分に一体どのような仕事があっているか、とはっきり自分の中で定義する事に出来ている者はどの位存在するであろうか。私はさほど多くはないと断言する。ましてや現在は大学進学または専門学校を目指す方が多いと聞く。就職する道を選ぶ者も存在しない訳ではないが、公務員ならまだしも、民間企業に至っては選択の余地はさほど大きくないという、厳しい現実が待っている。全ての就職希望の高校生が希望通り、もしくは適正にあった職業に就ける保証などありはしない。妥協という選択をして就職するのも一つの手段だが、では妥協という一種の敗北の選択をして入った企業で長続き出来るのか、という問題が発生してくる。仕事中に嫌な思いをしたりした時、「ここの会社には望んで入ったのではない。妥協して入ったのだ」というような考えが頭をよぎる事も有るだろう。そこで自分の中にしっかりとした職業観・就労観が確立されているか否かが肝要となってくるのである。もしそれが存在しなければ、安易に退職の道を選び、非正社員という存在へ変貌するのである。何故働くのか。どんな簡単な答えでも良いので、高校...