今回この「身体の意味」についてレポートを書くに当たってまずは何も読まない状態で身体という立場に置かれるのはどんなものなのかを考えてみた。このタイトル見たときに、自分はなにを思うか、それを自分自身に問うことをしてみたのだ。
はじめに思い浮かんだのが私の体、つまり【しんたい】としての意味を持った「身体」についてだ。そこには様々な臓物、機能などのたくさんのコンテンツを有し、そのうえで成長や退行を絶えず行い最終的に朽ちてゆく。一人の人物の精神にひとつしか有せないもの、そんな「身体」についてだ。果たしてこの【しんたい】の意味とは何であろうか。
私はこの【しんたい】についてはただの「私」という、流動的で無限でさらに柔軟で凶暴、そして目に見ることの出来ないものを実際に可視するためだけに存在する「入れ物」に過ぎないのではないかと思う。私はこの【しんたい】という「入れ物」は中身の「私」を失った瞬間、実物的にはもうそれは「私」としての意味を有さない、ただのたんぱく質など無数の成分や細胞によって構成されている「何らかのもの」だと考える。もう「私」を失った時点で、それは「あなた」でもなければ「あの人」でも無い、なんのことは無いただの大きな「もの」でしか存在を認められない。勿論、私情などがまったく存在しない世界においての話であることを前提とするのだが。
私は小学校のときに身近な人を病気で亡くしたことがある。その人とは私のことを大変かわいがってくれた祖母で、とても活発なやさしい人だった。わたしは死に目に会うことが出来ず、現実が受け止められず遺体が灰になってしまう日までずっと布団に眠ったままの祖母の遺体に話しかけて目を覚ますのを本気で待っていた。お棺に入ってからも窓から顔を出して眠る祖母に泣きながら「ねぇ、早く起きて」とすがっていた。しかし祖母が目を開けることは二度と無かった。
性・世代の社会文化論
最終課題
「身体の意味」について
今回この「身体の意味」についてレポートを書くに当たってまずは何も読まない状態で身体という立場に置かれるのはどんなものなのかを考えてみた。このタイトル見たときに、自分はなにを思うか、それを自分自身に問うことをしてみたのだ。
はじめに思い浮かんだのが私の体、つまり【しんたい】としての意味を持った「身体」についてだ。そこには様々な臓物、機能などのたくさんのコンテンツを有し、そのうえで成長や退行を絶えず行い最終的に朽ちてゆく。一人の人物の精神にひとつしか有せないもの、そんな「身体」についてだ。果たしてこの【しんたい】の意味とは何であろうか。
私はこの【しんたい】についてはただの「私」という、流動的で無限でさらに柔軟で凶暴、そして目に見ることの出来ないものを実際に可視するためだけに存在する「入れ物」に過ぎないのではないかと思う。私はこの【しんたい】という「入れ物」は中身の「私」を失った瞬間、実物的にはもうそれは「私」としての意味を有さない、ただのたんぱく質など無数の成分や細胞によって構成されている「何らかのもの」だと考える。もう「私」を失っ...