六世紀末から七世紀はじめにかけて大陸では隋が成立した。東アジア全体で緊張が走り、その波は日本にまで及んだ。それゆえ日本では、実質的に天皇に代わって国を統治していた聖徳太子が日本を維持する(隋の属国にならない)ために、国の基盤を早急に整備する必要性に迫られていたという政治的背景があった。そこで聖徳太子は、推古天皇や太子および大臣の蘇我馬子らを中心とした天皇制国家の確立を目指した。強大な国家を作るためにはまず、天皇への権力集中と優秀な人材の登用が必要不可欠であった。そのため太子が行った政策というのが、冠位十二階と憲法十七条の制定である。
日本の国家形成における国内的要因
六世紀末から七世紀はじめにかけて大陸では隋が成立した。東アジア全体で緊張が走り、その波は日本にまで及んだ。それゆえ日本では、実質的に天皇に代わって国を統治していた聖徳太子が日本を維持する(隋の属国にならない)ために、国の基盤を早急に整備する必要性に迫られていたという政治的背景があった。そこで聖徳太子は、推古天皇や太子および大臣の蘇我馬子らを中心とした天皇制国家の確立を目指した。強大な国家を作るためにはまず、天皇への権力集中と優秀な人材の登用が必要不可欠であった。そのため太子が行った政策というのが、冠位十二階と憲法十七条の制定である。
冠位十二階は603(推古1...