中世の部落
「中世」とは、おおむね平安時代終わり頃の11、12世紀から戦国時代末期の16世紀までを言う。中世の部落を見ていくことにする。
中世社会において、基本的な生産とされたのは農民であった。農民たちは年貢などの税を負担しながらも、自分たちの土地を持ち生活していた。その中で民衆の共同体ができ、有力住民を中心にまとまり、次第に自治的なしくみが成立していった。しかし、その実態は
中世の部落
「中世」とは、おおむね平安時代終わり頃の11、12世紀から戦国時代末期の16世紀までを言う。中世の部落を見ていくことにする。
中世社会において、基本的な生産とされたのは農民であった。農民たちは年貢などの税を負担しながらも、自分たちの土地を持ち生活していた。その中で民衆の共同体ができ、有力住民を中心にまとまり、次第に自治的なしくみが成立していった。しかし、その実態は一部の有力者が下層住民を支配するものであったのだ。村のまとまりが強くなると、そこの住民とそうでない者の区別がなされ、差別や排除を前提とした自治が成り立ったのだ。そうした中で、「ヒト」が隷属し不自由化していった。その具体的例として、犯罪、戦争捕虜、災害・病気等窮乏による人身売却、不自由民との婚姻、領主官への逃亡、領主強制などがある。犯罪を免罪になったことや、犯罪処刑者の家族であることから不自由化することもあれば、戦で陣を張った近所の村々で行われた人狩り、飢餓などの危機時に家族を寄進し、隷属し食を得るためなどの理由での不自由化もあった。また、不自由民の女性の娘は不自由民、不自由民の男性の息子は不自由民とするなど、生まれ...