アイワという会社はステレオ、МD、CDなど音響機器に定評のあるメーカーだ。以外に知られていないのはソニーの子会社だということと、海外生産を積極的に展開し、グローバル時代の企業経営のトップランナーとしてもてはやされてきたということだ。若者向けの低価格のステレオミニコンポが受けて、バブル崩壊で苦しむ同業他社を尻目に90年代前半に急激に業績を伸ばしたが、その秘密は猛烈な海外展開だった。そのきっかけは、1985年から86年にかけての円高不況。AV機器の輸出に依存していたアイワは、創業以来の危機に陥った。アイワが採った作戦は、日本国内の工場を閉鎖、集約して従業員を大幅に削減し、代わりにシンガポールに生産をシフトすることだった。ブランド力で遅れを取っている日本での市場拡大を当面棚上げして、成長し始めたいわゆる「途上国」市場に食い込む戦略だ。シンガポール製の低価格ミニコンポで、「途上国」といわれる南の国々の人々に、手の届く範囲の価格で憧れの日本製品を提供する。この作戦が大当たりした。短期間に「途上国」市場におけるトップブランドの地位を獲得したのだった。「途上国」市場で成功したアイワは、アメリカ、ヨーロッパにも攻勢をかける。アイワが投入した製品は、他メーカーの製品に比べるとほぼ半値。機能はシンプルだが音質ではひけはとらない。円高で他社が競争力を低下させるなか、いわゆる「先進国」市場でも一定の成功を収めることになった。積極的海外展開で業績を回復させ、満を持していたアイワは、1992年、シンガポール製ミニコンポ「XG―330」で再デビュー。若者の圧倒的な支持を受け、国内市場でもトップシェアを獲得する。円高不況による破錠の縁から劇的な再生を果たしたのだった。
アイワのマーケティング戦略。
アイワという会社はステレオ、МD、CDなど音響機器に定評のあるメーカーだ。以外に知られていないのはソニーの子会社だということと、海外生産を積極的に展開し、グローバル時代の企業経営のトップランナーとしてもてはやされてきたということだ。若者向けの低価格のステレオミニコンポが受けて、バブル崩壊で苦しむ同業他社を尻目に90年代前半に急激に業績を伸ばしたが、その秘密は猛烈な海外展開だった。そのきっかけは、1985年から86年にかけての円高不況。AV機器の輸出に依存していたアイワは、創業以来の危機に陥った。アイワが採った作戦は、日本国内の工場を閉鎖、集約して従業員を大幅に削減し、代わりにシンガポールに生産をシフトすることだった。ブランド力で遅れを取っている日本での市場拡大を当面棚上げして、成長し始めたいわゆる「途上国」市場に食い込む戦略だ。シンガポール製の低価格ミニコンポで、「途上国」といわれる南の国々の人々に、手の届く範囲の価格で憧れの日本製品を提供する。この作戦が大当たりした。短期間に「途上国」市場におけるトップブランドの地位を獲得したのだった。「途上国」市場で...