今日、私たちは生活のあらゆる場面において、表象されている異文化というものに出くわす。それは、自文化を再認識する上で非常に大きな役割を果たしている。しかし、異文化を表象することにおいて、ひとつ問題となってくることがあるように思われる。それは、「表象される側への配慮」という問題である。表象という行為において、表象する側と表象される側が存在するのは必然となってくる。ただ、表象する側の考えによって、どのようにでも表象される側は変化していってしまうのである。ここでは、第五回内国勧業博覧会の植民地パビリオン台湾館を例にとって考えていこうと思う。
この第五回内国勧業博覧会は一九〇三年に開催されたのだが、「この時期、植民地台湾では、原住民の「絶滅」をも念頭においたうえで、彼らが主に居住する「山地」の征服を目指しはじめた台湾総督府に対し、原住民は存亡をかけた激しい武力闘争を行っていた。しかし、総督府出品物による原住民の表象からは、そのような側面は一切捨象されており、彼らの日常生活品や写真がそのような政治的コンテクストを隠蔽した形で、並べられていたのである。」(P72)つまり、ここに展示されたものは純粋に原住民の文化を表象するために、解釈する側が政治的な一面を切り取られてしまっている。それは解釈する側が、その展示物をそのように理解してもらいたい、というような考えによって展示物を扱った結果なのである。
そのように考えると、異文化を表象することは異文化を解釈することに他ならないのではないだろうか。たとえば、あるサッカーの試合を表象しようとする。ある人は、選手がゴールを決めるシーンを強調しようとするであろう。しかしまたある人は、選手の個人技に重きをおいて表象の対象とするかもしれない。日本では、とりわけ前者の解釈の仕方が中心となっている。
今日、私たちは生活のあらゆる場面において、表象されている異文化というものに出くわす。それは、自文化を再認識する上で非常に大きな役割を果たしている。しかし、異文化を表象することにおいて、ひとつ問題となってくることがあるように思われる。それは、「表象される側への配慮」という問題である。表象という行為において、表象する側と表象される側が存在するのは必然となってくる。ただ、表象する側の考えによって、どのようにでも表象される側は変化していってしまうのである。ここでは、第五回内国勧業博覧会の植民地パビリオン台湾館を例にとって考えていこうと思う。
この第五回内国勧業博覧会は一九〇三年に開催されたのだが、「この時期、植民地台湾では、原住民の「絶滅」をも念頭においたうえで、彼らが主に居住する「山地」の征服を目指しはじめた台湾総督府に対し、原住民は存亡をかけた激しい武力闘争を行っていた。しかし、総督府出品物による原住民の表象からは、そのような側面は一切捨象されており、彼らの日常生活品や写真がそのような政治的コンテクストを隠蔽した形で、並べられていたのである。」(P72)つまり、ここに展示されたものは純粋に...