ジョン・ロックにおける子どもの教育論、特に習慣形成や賞罰法を中心に述べよ。
哲学者・医学者としての側面をもつロックの教育論には、戦前の日本の教育になじみの深い「健全なる身体にやどる健全なる精神」という言葉の持つ複雑な教育的意味が存在している。この教育的意味を持つ教育論を、身体と教育、精神の形成の2つの角度から考察してみる。
ロックは身体の健康こそ最大の教育目標とし、健康は個人主義的原理に立つ欲望追求を可能にすると同時に、健全な身体と道徳と知識を持っている紳士として、国家社会における責務を遂行し得るための身体の基本的要件としての状態を意味していた。
さらにロックは、健康が疾病の回復に限定されず、人間の完全可能性を追求する概念であれば、その追及は教育的な課題とした。この課題に対応する教育方法は、拘束と自然、いわゆる習慣形成と自然性育成との関わりをどのように調和させるかを必要とした。現実的にこの問題を解決できるならば、いかに子どもの自然の発達に即して、一定の習慣形成を子どもに遂げさせるかということになる。
子どもにおける習慣形成について「両親は子どもが非常に小さいときから、両親の意志に従うように教育すべきである。」とし、理性的に適した事柄にしか同意しないように、精神を正しくすることが教育において重要であり、精神を鍛錬することによって、子どもは自分の欲望を我慢し、欲望がいろんな方向に動いても理性が最善として示すものに純粋に従うことができるようになる。
ジョン・ロックにおける子どもの教育論、特に習慣形成や賞罰法を中心に述べよ。
哲学者・医学者としての側面をもつロックの教育論には、戦前の日本の教育になじみの深い「健全なる身体にやどる健全なる精神」という言葉の持つ複雑な教育的意味が存在している。この教育的意味を持つ教育論を、身体と教育、精神の形成の2つの角度から考察してみる。
ロックは身体の健康こそ最大の教育目標とし、健康は個人主義的原理に立つ欲望追求を可能にすると同時に、健全な身体と道徳と知識を持っている紳士として、国家社会における責務を遂行し得るための身体の基本的要件としての状態を意味していた。
さらにロックは、健康が疾病の回復に限定さ...