人々は心の願いを満たすために、それぞれの願いに相応しいと考えられるものを選んで、それに祈りや願いを託した。それは幾つかの型に分けられる。その中には、神仏と称される一般的な各種宗教の崇拝対象まで含まれる。しかし、これらの神仏は、宗教の場合はその宗教の教義における本質的な性格を対象としていることが多い。これに対し民衆信仰においては、神仏をその対象にする場合は、その神仏やその徳を人々に伝えるための使途や眷族まで含めて、形や名称、または人々の願いを成就させるために発揮する力などに、対象としての意味づけがされる。この使途・眷属を対象とした場合を含めて民衆信仰の崇拝対象に「動物」が見受けられる。
古来より人間と動植物の交渉は深く、また動物を先祖霊としているようなことも多々ある。一般に動物崇拝は、動物の形態・動作・性質や、またその与える災害、また食料・労働力としての恩恵などが動機となり、それらの動物が異常な力のあるものとして恐れられ、あるいは特に親しみ感謝されなどするところに発生する。このような動物はしばしば神霊と結ばれて、その化身あるいは象徴とされたり、神の使いと考えられた。このように動物は神霊視され、結果、動物が直接の崇拝対象となる。ここで重要なのが、動物が身近な存在であり、実際に「見る」ことができ、感覚として理解ができる存在だったことであろう。
族霊崇拝~狐説話の真意~
人々は心の願いを満たすために、それぞれの願いに相応しいと考えられるものを選んで、それに祈りや願いを託した。それは幾つかの型に分けられる。その中には、神仏と称される一般的な各種宗教の崇拝対象まで含まれる。しかし、これらの神仏は、宗教の場合はその宗教の教義における本質的な性格を対象としていることが多い。これに対し民衆信仰においては、神仏をその対象にする場合は、その神仏やその徳を人々に伝えるための使途や眷族まで含めて、形や名称、または人々の願いを成就させるために発揮する力などに、対象としての意味づけがされる。この使途・眷属を対象とした場合を含めて民衆信仰の崇拝対象に「動物」が見受けられる。
古来より人間と動植物の交渉は深く、また動物を先祖霊としているようなことも多々ある。一般に動物崇拝は、動物の形態・動作・性質や、またその与える災害、また食料・労働力としての恩恵などが動機となり、それらの動物が異常な力のあるものとして恐れられ、あるいは特に親しみ感謝されなどするところに発生する。このような動物はしばしば神霊と結ばれて、その化身あるいは象徴とされたり、神の使いと考えられ...