大乗仏教の登場は、その名の示すとおりである。全ての人を救う目的に作られている。もともと上座部仏教は修行至上主義であり、修行をした者が菩薩になれるとされている。しかしその修行自体が当時のエリート層の存在であり、つまり一般人に触れられる者ではなかったと言う事だ。それに反発、つまり庶民でも全ての人が救われる事を目的として活動された、一種の思想運動とも言える。
では、大乗仏教と上座部仏教について、その意味合いの違いは何処にあるか。やはり、修行の有無である。修行すなわち、戒律が上座部仏教には存在し、その戒律こそが仏陀に近くなれるものとされる。この思想に置いては、大乗仏教自体が釈迦から遠ざかるであると考えるゆえに、固執として上座部仏教が残ってしまう。
■■■■■学第■回出題■レポート
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上座部仏教が残った理由について
あまりビデオの内容とは関連がないかも知れないが、私が疑問に思った事は、何故この
ような仏教が依然として残り続けているのかであった。現代人の私たちの感覚では、教え
自体非科学的のようであるし、修行の様子を見ていてもさして意味のある行動のようには
思えない。それは現代の科学の性ではあるが、それにもかかわらず、何故残ったのか。銜
えて、大乗仏教も出来、時代のニーズで言えば、大乗仏教が広まって至極自然の用に感じ
るが、しかし何故スリランカでは上座部仏教が残ったのか...