エーテル否認から特殊相対性理論へ
19 世紀までの物理学において、光を波だとするのが一般論であった。ゆえに、波であるがゆえに光には媒質が必要とされ、その媒質としてはエーテルの存在が論拠とされた。エー
テルとは空間に満ちているとされる“仮想の”物質であったが、当時の物理学者には常識として扱われていた。
エーテルが存在するならば、地球の自転によって、自転の方向に移動するエーテル中を、追い風の要領で進む光と向かい風の要領で進む光では当然速度が違うことになる。つまり、
エーテルの速度をv、光の絶対静止系での速度をc とすると、追い風の要領で進む光はv+cとなり、向かい風の要領で進む光はv-c となる。しかし実験の結果は、両者の光の速度の差を検出することはできなかった。
その実験のひとつ、マイケルソン・モーレーの実験が1881 年に行われた。この実験は、一つの光源から発せられた光をハーフミラーを使い二つに分け、一方の光は幾度と鏡を使
い反射をさせて距離を移動させ、再び二つの光を一箇所に集め、位相差により光の干渉を検出しようとするものだった。エーテルが実在するのであれば、想定どおり、位相差によ
り光の干渉を引き起こす。この時間差であっても、1 万分の1mmしか進まないとされたが、マイケルソン・モーレーの実験はこれを検出できるものであった。結果として、干渉は起
こらなかった。この実験は、光速度不変の原理の根拠のひとつとされている。
ところで、アインシュタインは子供のころから光について興味を持っていた。それは「光に乗ればどんな風景が見えるのだろう」という単純なものであったが、その思想がアイン
シュタインの光の探求の根源であったと本人が述べている。
■学部■■■■■■■学科■年
名列番号■■ 学籍番号■■■■■■
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■■■■■■■第■■回出題レポート
アインシュタインの業績について
エーテル否認から特殊相対性理論へ
19 世紀までの物理学において、光を波だとするのが一般論であった。ゆえに、波である
がゆえに光には媒質が必要とされ、その媒質としてはエーテルの存在が論拠とされた。エー
テルとは空間に満ちているとされる“仮想の”物質であったが、当時の物理学者には常識と
して扱われていた。
エーテルが存在するならば、地球の自転によって、自転の方向に移動するエーテル中を、
追い風の要領で進む光と向かい風の要領で進む光では当然速度が違うことになる。つまり、
エーテルの速度を v、光の絶対静止系での速度を cとすると、追い風の要領で進む光は v+c
となり、向かい風の要領で進む光は v-cとなる。しかし実験の結果は、両者の光の速度の差
を検出することはできなかった。
その実験のひとつ、マイケルソン・モーレーの実験が 1881 年に行われた。この実験は、
一つの光源から発せられた光をハーフミラーを使い二つに分け、一方の光は...