2003年3月、米英軍がイラクに対し、戦争を仕掛けたと聞いてとても驚いたことを、思い出した。現代でも世界各国で紛争が起きていることは知識として知っていたが、私にとって「戦争」とは遠いものであり、1945年の第二次世界大戦終戦により、世界は平和へと向かっていると考えていた。
しかしアメリカが先頭にたち、イラクに戦争を仕掛けたと聞いた時、心底驚き「戦争は現代でもあるのだ」ということを改めて考えさせられた。またアメリカは先進国であり、日本とも繋がりの深い国であるため、自分の身近なこととして「戦争」を捉える契機となった。
イラク戦争についての記事を見るとき、死者が300人になった、500人になった、1000人を超えた、などの報道を毎日のように目にした。開戦当時は戦死者の数の多さに驚き、悲しんだ。しかし、日が経ち、死者の数が多くなるにつれ「そんなものか」「たくさんの人が死んでしまったのだな」と、どんどん死者への感慨が薄れていった。しかし、生々しい戦争を体験してきた尾川氏が言う様に「数」が殺され、死んでいったのではなく、かけがえの無い一人一人の人間が死んでしまったのである。死んでしまった人には家族がいて、友人がいて、その人だけの人生があった。それが一瞬にして経たれてしまったのである。人の死は何人、何十人、と一塊にして数えられるものではない。平和な日本にいて、情報だけで伝えられる戦争に馴れてしまい当たり前のことを当たり前に捉えられなくなっていた自分を怖いと思う。現在戦争・紛争をしている国の人々も、人の死について鈍感になってしまっているのだろうか。
ヴェトナム戦争で良心的拒否により兵役を拒否した人間で、自分の行動に思い悩み、罪の意識に苛まれている者が数多くいる、と書かれていた。自分が兵役を免れることによってできた穴は、誰か他の人によって埋められたはずである。
戦争についてノ考察
2003年3月、米英軍がイラクに対し、戦争を仕掛けたと聞いてとても驚いたことを、思い出した。現代でも世界各国で紛争が起きていることは知識として知っていたが、私にとって「戦争」とは遠いものであり、1945年の第二次世界大戦終戦により、世界は平和へと向かっていると考えていた。
しかしアメリカが先頭にたち、イラクに戦争を仕掛けたと聞いた時、心底驚き「戦争は現代でもあるのだ」ということを改めて考えさせられた。またアメリカは先進国であり、日本とも繋がりの深い国であるため、自分の身近なこととして「戦争」を捉える契機となった。
イラク戦争についての記事を見るとき、死者が300人になった、500人になった、1000人を超えた、などの報道を毎日のように目にした。開戦当時は戦死者の数の多さに驚き、悲しんだ。しかし、日が経ち、死者の数が多くなるにつれ「そんなものか」「たくさんの人が死んでしまったのだな」と、どんどん死者への感慨が薄れていった。しかし、生々しい戦争を体験してきた尾川氏が言う様に「数」が殺され、死んでいったのではなく、かけがえの無い一人一人の人間が死んでしまったのである...