田園都市と日本

閲覧数2,521
ダウンロード数20
履歴確認

    • ページ数 : 2ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

     19世紀、産業革命の起こったイギリスでは、農村部から中心都市ロンドンに多くの人口が集中しスプロール化現象が起きた。約50年で人口は二倍になったにもかかわらず都市において人々の居住区域はさほど広がることがなく異常な過密状態になった。これを解消するために、イギリスの社会改革者エベネザー・ハワードは著書「明日の田園都市」(1902年)にて、計画性を持った「都市計画」として田園としの構想を提唱した。その中でハワードは、田園都市の根底として、「都市と農村の結婚」を目指すべきだとした。都市の中に農村の魅力を取り戻し、その上で都市のもつ魅力や刺激も兼ね備えるということである。ここでハワードの掲げた3つの提案を以下に示す。
    ・第一に「都市はその規模において限定された大きさのものでなければならない」人口3〜5万人規模で田園都市を建設する。さらなる人口の増加が見込まれた場合はスプロール化を防ぐため、もう一つ新たな田園都市を建設し、高速鉄道で結ぶことを提案する。
    ・第二に「田園都市はその周囲を田園的な緑の農村的地帯によって囲まれていなければならない」農村との近接により、人間性の回復と農産物供給上の利点を与える。
    ・第三に「田園都市はそれ自体が工業を主とする雇用力をもつ自己完結的ないしは自足的なものでなければならない」職住が直結する均等のとれたコミュニティーの形成。
    (http://www.t3.rim.or.jp/~u-minami/class/design/mati/haword/haword.htmlより引用)
     これらの理論に基づき、最初の実験的な田園都市として都市計画家レイモンド・アンウィンがレッチワースを設計した。その特徴は以下である。
    ・ クルドサック(袋小路)のまわりに住居をつくりコミュニティを形成。
    ・ 中庭を囲んで集合住宅を作り、食事作りの共同化を図る。
    ・ 四角張らない美しさ、景観の不規則性をテーマに、中世の村をイメージ。

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    田園都市と日本
    19世紀、産業革命の起こったイギリスでは、農村部から中心都市ロンドンに多くの人口が集中しスプロール化現象が起きた。約50年で人口は二倍になったにもかかわらず都市において人々の居住区域はさほど広がることがなく異常な過密状態になった。これを解消するために、イギリスの社会改革者エベネザー・ハワードは著書「明日の田園都市」(1902年)にて、計画性を持った「都市計画」として田園としの構想を提唱した。その中でハワードは、田園都市の根底として、「都市と農村の結婚」を目指すべきだとした。都市の中に農村の魅力を取り戻し、その上で都市のもつ魅力や刺激も兼ね備えるということである。ここでハワードの掲げた3つの提案を以下に示す。
    ・第一に「都市はその規模において限定された大きさのものでなければならない」人口3~5万人規模で田園都市を建設する。さらなる人口の増加が見込まれた場合はスプロール化を防ぐため、もう一つ新たな田園都市を建設し、高速鉄道で結ぶことを提案する。
    ・第二に「田園都市はその周囲を田園的な緑の農村的地帯によって囲まれていなければならない」農村との近接により、人間性の回復と農産物供...

    コメント1件

    lapanda 購入
    助かりました!
    2006/07/28 14:52 (18年3ヶ月前)

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。