戦後の日本において自民党が担ってきた政治とは、集権的官僚支配、自民党一党支配、所得平準化・再分配システム、日本国憲法第9条の下での対外的消極主義などである。国民から政治への関心をそらし続け、また閉鎖的な政治を行うことによってなんとか体制を維持してきた自民党も、冷戦構造の崩壊やバブル崩壊による右肩上がりの経済の終わりという大きな時代変動によってその地位が崩れようとしている。
戦後政治が崩壊する今、我々がしなければならないことはこの崩壊の危機を逆に好機と捉え多くの市民が参加する新しい民主主義の確立に向けて政治政策を考えることである。
各種の調査が示すように、みんなが自分を中の中を感じる「一億総中流」の時代は終わり、貧富の格差が拡大している。能力の差により格差が生じることは避けられないことではあるし、社会主義国が理想とする極端なまでもの平等を求めるつもりもない。だが、人々の努力する気力さえも奪ってしまうような階層格差を放置することはできない。
今後の教育改革の目的は、均一な能力を持った人材を大量に養成する教育体制ではなく、創造力あふれる、「自ら課題を発見し、自ら解決する能力」=「新」学力の養成である。
前回の11月の参議院総選挙では、直前に民主党党首の管直人代表の年金未納問題が浮上したにも関わらず民主党が大きく議席数を伸ばした。それにより、二大政党制に向けて大きな一歩を踏み出したと考える人は多い。世間ではこの選挙によって二大政党制への流れがはっきりしたと言われているが、実は大きな政党が2つあることだけでそう呼ぶわけではない。実際に現時点での自民党と民主党の対立をイギリスの労働党-保守党、あるいはアメリカ合衆国の共和党-民主党の対立と同じように捉えることには誤りがある。民主党は第2自民党的要素があり、二大政党制というよりは保守二党派体制と呼んだほうが適当である。だが、この選挙ではっきりしたことは、今まで曲がりなりにも自民党が支えてきた戦後政治の終わりがついに来たということである。その視点から考えると今回の選挙のもつ意味は大きい。政策転換を待望し、「構造改革」というスローガンを主張する小泉に期待していた国民が、彼の改革の本質が不作為にあることに気づいたことが選挙結果から見て取れる。
戦後の日本において自民党が担ってきた政治とは、集権的官僚支配、自民党一党支配、所得平準化・再分配システム...