ソニーの経営手法とその鍵

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    資料紹介

     ソニーは、創設当時から現在まで新しい技術の開発とその技術による新商品の開発により業界大手にのし上がってきた。
     ソニーは最初、東京通信研究所として始まった。創設者である故・井深氏はラジオの修理と改造を思い付き、短波放送を聞けるコンバーターを開発し、これが旧型のラジオに簡単に取り付けられるため需要は高まった。
     創設の翌年には、社名を東京通信工業株式会社とし、設立式での井深氏の挨拶に「大きな会社と同じことをやったのでは、我々はかなわない。しかし、技術の隙間はいくらでもある。我々は大会社ではできないことをやり、技術の力でもって祖国復興に役立てよう」と言い、技術によってこの会社を大きくしようとした。
     設立当初の資金繰りは厳しく、それに加えて1946年2月に出された「金融緊急措置令」により、新円の切り替えが行われたことも大きく影響していた。そのため、新円稼ぎが必要となり、「電気ざぶとん」と「クリアボイス」と名付けられたレコード盤から音楽信号を取り出す装置を開発し資金を調達した。その後、NHKからの依頼で軍用無線機の改造と修理に着手しNHKとの最初のつながりとなり利益の確保にもなった。
     次に官庁や放送局からの仕事とは別に大衆に直結し、NHK以外にも販路を広げる商品の開発を行うため、磁気録音機の開発に着手した。初めはワイヤーレコーダーであったが、開発途中にテープレコーダーの話を聞き実際にその音を聞くと比べ物にならなかったため、テープレコーダーの開発に移った。その後の試行錯誤の結果、テープとテープレコーダーの試作機が1950年に完成し毎日グラフに紹介されることになった。

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    ○ソニーの経営法とその鍵
     ソニーは、創設当時から現在まで新しい技術の開発とその技術による新商品の開発により業界大手にのし上がってきた。
     ソニーは最初、東京通信研究所として始まった。創設者である故・井深氏はラジオの修理と改造を思い付き、短波放送を聞けるコンバーターを開発し、これが旧型のラジオに簡単に取り付けられるため需要は高まった。
     創設の翌年には、社名を東京通信工業株式会社とし、設立式での井深氏の挨拶に「大きな会社と同じことをやったのでは、我々はかなわない。しかし、技術の隙間はいくらでもある。我々は大会社ではできないことをやり、技術の力でもって祖国復興に役立てよう」と言い、技術によってこの会社を大きくしようとした。
     設立当初の資金繰りは厳しく、それに加えて1946年2月に出された「金融緊急措置令」により、新円の切り替えが行われたことも大きく影響していた。そのため、新円稼ぎが必要となり、「電気ざぶとん」と「クリアボイス」と名付けられたレコード盤から音楽信号を取り出す装置を開発し資金を調達した。その後、NHKからの依頼で軍用無線機の改造と修理に着手しNHKとの最初のつながりとなり利...

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