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連関資料 :: 人間が人間であることとは

資料:343件

  • フロイトの人間論について
  • 1、はじめに  フロイトの人間論をテーマに選んだ理由は、もともと人間の心について興味があり、無意識が意識や行動に影響するといった話や、夢判断を詳しく知りたいと思ったからである。それに、「フロイト全集」が去年の秋に岩波書店から刊行され、高い評価を受けている事実からフロイトの思想が本当に必要であり、現在の閉塞社会を打ち破るために求められていることについても非常に関心を抱いた。  このレポートでは、それまでの人間理解に対してフロイトの人間論の新しいところはなにか。そして、その後の思想界に与えた影響はどのようなものかを論ずるために、「無意識」と「性」について交えながら論じていきたい。
  • 心理学 女性 社会 心理 フロイト 人間 科学 幼児 思想
  • 550 販売中 2009/11/06
  • 閲覧(3,076)
  • 「こころ」の人間関係
  • 始めに 「こころ」は、(1914)大正三年四月二十日から八月十一日まで「朝日新聞」に「こころ」という総題のもと、「先生の遺書」と題して、一一0回にわたって連載され、同年十月、岩波書店から刊行された。その刊本では「心」「こころ」どちらも用いられているが、上編「先生と私」、中編「両親と私」、下編「先生と遺書」の三部構成の体裁となった。夏目漱石のこの小説は発表されて以来さまざまな理論的な観点で研究されてきた。私は特に登場人物の関係に興味をもち、本論文ではこれについて検討する。 1、 先生と私 2、 先生とk 3、 先生とお嬢さん 4、 先生の自殺とkの自殺 5、 先生の父親と叔父 1、先生と私 漱石は「先生と私」で先生の生活の外面的な観察を描写し、そこに現れた矛盾を先生を理解する鍵として与えている。 まず先生は「私」に対して静かで淋しく近づき難いと同時に近づきたいという印象を与えたとされている。初期作品では世間に対する超然とした態度は外界に対する高さを意味しており、それが特別の印象を与えるものとして描かれていたが、ここでは先生の超然とした態度は外界との断絶を意味しており、先生が世間より高いという意味は失われ、そのために先生と私の海岸での出会いは偶然であることが強調されている。 この印象は私が先生と近づくことによって新たな疑問に発展する。先生と奥さんは互いに愛し合い、互いの愛情を信じていると同時に深い溝が存在することが明らかになり、彼らの愛情の背後に恐ろしい悲劇が隠されていることが予告される。
  • レポート 日本文学 こころ 夏目漱石 現代文学
  • 660 販売中 2005/05/26
  • 閲覧(8,038)
  • 人間の自己意識
  • 自己意識とは、自己の自己に対する関係であり、この自己意識は、自己の自己の自己の自己の・・・意識というふうに無限に再帰する、円還したシステムである。たとえば日記をつける。自己の自己との対話である。ここで私たちは自己の錯綜した関係にもがくことがある。実際にそうした経験をしたことのあるものも多いと思う。自分が自分を偽って、言語に表れた自己と、そこにはあらわれない自己との分裂、分裂をなおそうとする自己と、さらにそこから逃れようとする自己、無限の関係は永遠と錯綜してゆく。これが自己意識の実体なのではないか。 ローマの雄弁家キケロは人間を「文化的動物」として定義したが、もともと「文化」を示す欧米語の語源となったラテン語の cultura は「耕作」や「土地の世話」を意味する言葉であり、また人間をさす「ホモ(homo)」は「大地(humus)」という語根をもっている。 そして、アダム(人間)はアダマー(地)から来ている。従って、文化はこの大地(人間)を耕すことであり、自己とその環境の開発を意味していると捉えることができる。   結論としては、人間は、生物として、自己とその環境の開発という課題を自己の本質的宿命として負わなければならない存在に他ならないのである。そして、洞窟壁画時代からの自己意識と人間のあり方というのは、今なお現在進行的なものであり、そして未来においても永遠に続いていくものであろう。
  • レポート 哲学 人間 自己意識 自意識
  • 550 販売中 2005/07/30
  • 閲覧(2,839)
  • 人間の自由と規範
  • 後期のこの約4ヶ月の間、講義で様々な人の意見を聞きながら自分なりに「人間の自由と規範」について考察してきた。 まだ何の考察もしていない段階で与えられた、「自由とはどういう状態のことですか」という問いかけにたいして、私はその時「自分の望む状況、もしくは環境の中に自らの身をおけること」だと答えた。つまり「自由」において重要なのは「自分の意志」であると。しかし講義を終えた今、単純にそうとは答えられないのが正直なところだ。 自由概念の内容整理に際してバーリンの二分法がしばしば参照されるそうだが、このバーリンの『自由論』によると、自由の概念は「〜からの自由」、「拘束の不在」を意味する「消極的自由」と「〜への自由」、「自己支配」である「積極的自由」という二つに区分され、消極的自由の概念は、近代の自由主義において特徴とされる自由、個人の活動を妨げるあらゆる制限や障害の排除、抑圧や圧迫に対する批判や抵抗としての自由を示し、それに対して、積極的自由の概念はもっと人が主体的であることに視点を向けた自由だそうだ。  ここで、消極的自由は自由の社会的な部分で多くの意味をなし、積極的自由は自由の精神的な部分で多くの意味をなしているということである。人が生きていく上で、社会的拘束から解放されることが消極的自由であり、自己が内面から主体的に生きていることを実感でき、また精神的に解放されていることが積極的自由だということである。 人間(社会的存在として人格を中心に考えたひと [広辞苑] )である以上、やはり社会から「自由」という考えを切り離すことは不可能であり、それに伴い、規律から「自由」を切り離すことも不可能であると思う。 規範と自由は相反するもののようでありながら、相互に支えあいながら存在しているものであると。
  • レポート 哲学 自由 人間 規範
  • 550 販売中 2005/11/14
  • 閲覧(3,607)
  • 人間の発達と学習
  • 人間の「学習」について古くから色々な領域で研究がなされてきた。学習観は大きく二つに分けることが出来る。それは学習者を受動的な存在と見るか、能動的な存在としてとらえるかである。前者においては学習者を知識を流し込まれる器のような存在と捉え、後者においては学習者を自ら外部に働きかけ知識を掴み取る力を持つ存在ととらえている。学習ということを考える場合には環境に対して学習者自身が働きかけるという点を無視することができない。人間の赤ちゃんは今まで受動的な存在であるとして捉えられてきた。人間の赤ちゃんは授乳の際に吸っては休むという動作を繰り返す。栄養摂取という点から考えて休止を入れるのは非効率的であり、哺乳類の中で人間の赤ちゃんにのみ見られる現象である。
  • レポート 教育学 発達 学習 人間 能動的 受動的
  • 550 販売中 2006/07/06
  • 閲覧(2,968)
  • 人間の知性と教育
  • 人間は唯一の知的動物である。人間は言語を使いコミュニケーションし、数式を操り、文化を形成し、笑うといった高度な感情を示し、さまざまな事を考える。そのような知性は、人類が代々受け継いできたもので、受け継がれければ、人類の知性は存在し得なかっただろう。人間という生物種は、知性を持つことが出来るように出来ているが、教育してやらねば知性を持つことは決して出来ないのである。オオカミに育てられたアマラとカマラは、オオカミから救い出された(この表現は正しいのかどうか、判断は微妙である。何故なら、オオカミといっしょに生活することは、当時彼女らにとってあたりまえであり、人間に連れ出されて環境が変わったことを嫌がったかもしれない。)時には、知性は無く、まったくオオカミと同じ行動をしていた。しかし、彼女らを教育するにつれ彼女らは人間らしさを示し、カマラは片言だが言葉を話すまでになった。  人間の意識の活動には3種類あるといわれ、それはそれぞれ、知性、感情、意志である。知性とは、感覚・知覚によって物を認識し、それを体系だった事としてとらえ、その捕らえたものに対して知覚したものについていろいろと思考をめぐらせ、創造したり、言語によって一般化したり、抽象化した概念にしたりすることである。そして感情は、知覚したもの、あるいは知性によってとらえた事柄に対して、思うことや示す態度のことである。そして意志とは人間の行為を意識的に導く心の働きである。この3つは密接に結びつき、相互に働き合っている。  人類はそのような知性を、有史以前から代々受け継いできた。原始時代では、狩のしかた、住処の作りかたなど他の動物でもやっている事に加えて、火の起こし方、道具の作り方などを受け継ぎ、発展させていった。それが医療、産業、社会など、さまざまな分野で蓄積していって、学習し、さらなる発展をした。さらに、道徳や哲学など、物事の考え方に関する考えなど、高度なものを生み出し、発展させた。私たちは、このような知性を教授し、今ここにいるのである。このような知性は、何も無くても伝わるようなものではなく、そこには何らかのかたちで「教育」がなされてきた。
  • レポート 教育学 教育 知性 オオカミ少女 知性の遺伝
  • 全体公開 2012/10/13
  • 閲覧(4,162)
  • 人間関係トレーニング
  • 我々はコミュニケーション能力の欠如により、時に自分だけが疎外されているように感じる事があります。まるで、そこには違和感があって、入り込めないような隙間のような、コンクリートに突き刺さったカッターナイフのようなものであるとさえ感じ、そんな孤立感を感じるときが少なくないのが現実社会のように思われます。では、どうすればその空間に浮遊する粒子はある種の媒体に溶け込むことができるようになるのでしょうか? その答えを本書は具体的かつ明確にどのように実践していけばよいのかを指示されており、その行間に風が吹き抜けるかのように私の体に染み渡るものでありました。 「人間関係づくりトレーニング」【薯】星野 欣生
  • 人間関係 トレーニング 感想文
  • 550 販売中 2011/05/30
  • 閲覧(1,908)
  • 人間と家庭のかかわり
  •  この世に生を受けた人間は、多くの場合、家庭の中に迎えられる。  そして、その中で多大な愛情を受けて育てられ、成長していく。  家庭の大きな役割は、人間が外の世界(学校・会社など)から帰ってくる際に、緊張や疲労から解放させ、深い安らぎの憩いと睡眠の時間を提供し、明日からの生活への原動力を沸かせることである。しかし、それが可能となるには、家庭の中に十分な愛が無ければならないのである。では、「愛のある家庭」とは一体何なのだろうか。  それは、家庭の基盤となる夫婦の関係にかかわることである。  夫婦とは、人生をともに歩む共同者(パートナー)であり、1人では足りないところを2人で補い支えあう補完的な面だけでなく、一人では気づかなかった新しい自己を発見したりする創造的な面を持ち合わせることで、人間的成熟、豊かさが生じてくる。豊かな夫婦関係を築いていくためには、お互いに、深いかかわりを願って、積極的に心を開く誠実さを持ち合わせて無くてはならない。ただし、心を開き、お互いに支えあい、夫婦というひとつの形になるということは、各々のアイデンティティを失うことではない。相互のアイデンティティを基本的に認め合うことが重要で、そのためには心理的・社会的に成熟している必要がある。もし、過度の自己中心性や他社依存性が一方にでもあれば、この関係は成立しないであろう。  心を開き、相互に認め合うためには対話という行為が必要である。この対話は2種類存在する。  1つは精神的対話である。先週の内容と重なるが、これは普段の会話とは違い、自分が相手に受け入れられ大切にされているという深い確信の元に成立する。相手に対して自己を隠さず、相互に実存的に裸の状態で自分自身について語り、また相手自身を聴くことである。
  • レポート 哲学 家族 家庭 成長
  • 550 販売中 2006/01/17
  • 閲覧(2,074)
  • 人間、笑い、死
  •  人間とは何であろうか。他の動物と何が違うのだろうか。他の動物は、本能だけで生きられる。ただし、本能と環境が完全に適合していなければ、生きられない。また、環境が変化しても、生きていけない。生きられる環境が限定されているのである。一方、人間はどこででも生きられる。これは、人間が優れているからではなく、本能が完全に欠如しているからだ。そのため、本能に適合する環境も存在しない。そこで人間は、理性や知恵で文化を作り、どこででも生きられるように発達したといえる。理性や知恵は、本能の欠如を補うためのもので、人間が他の動物より未熟だと示していると思われる。人間は、自然環境の内側に文化による人工の環境を作ったのである。自然環境で生きる負担を軽減してきた人工環境は時代とともに大きく複雑になり、逆に自然環境を圧迫し、現在は文明の自壊作用の時代となっている。
  • レポート 社会学 人間 笑い
  • 550 販売中 2006/02/11
  • 閲覧(2,787)
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