このレポートの内容は日本考古学会に通念化しつつあった、弥生時代から近畿地方は父系社会であるという説とは異なる、田中良之教授の説から成り立つ。以下、弥生時代末期からの埋葬の形式を考えることから始める。
弥生時代末期から5世紀代にかけては、キョウダイ原理において埋葬が行われた。それは一方の性に偏ることなく、兄弟・姉妹・兄妹・姉弟という同一の世代が複数埋葬の被葬者だった。この中で事例的に最も多かったのは兄妹・姉弟のケースであり、この基本モデルをαモデルとする。(これには亜型が多く、二世代構成となることもある。)このモデルは被葬者の配偶者は含んでおらず、寛骨前耳状溝がみられて出産をしたと認められる女性もキョウダイとともに葬られている。(ここでは近親婚の可能性への言及はしない。)そして、キョウダイから一人だけ選出されて埋葬される場合も、男女いずれの場合もあり、さらには、造墓契機となった初葬者(小児の場合すらあった)・単体埋葬の被葬者における性別の割合はどちらかに偏ることはない。ここにαモデルの特徴である双系的性格がみられるが、このモデルは首長墳から小円墳や箱式石棺にまで共通に見られ、階層差はないと考えられる。つまり、5世紀中葉〜後半までは双系社会であったということができる。
親族関係と古代社会 レポート『親族と家族の関係は歴史の中でどのように変化したか』
このレポートの内容は日本考古学会に通念化しつつあった、弥生時代から近畿地方は父系社会であるという説とは異なる、田中良之教授の説から成り立つ。以下、弥生時代末期からの埋葬の形式を考えることから始める。
弥生時代末期から5世紀代にかけては、キョウダイ原理において埋葬が行われた。それは一方の性に偏ることなく、兄弟・姉妹・兄妹・姉弟という同一の世代が複数埋葬の被葬者だった。この中で事例的に最も多かったのは兄妹・姉弟のケースであり、この基本モデルをαモデルとする。(これには亜型が多く、二世代構成となることもある。)このモデルは被葬者の配偶者は含んでおらず、寛骨前耳状溝がみられて出産をしたと認められる女性もキョウダイとともに葬られている。(ここでは近親婚の可能性への言及はしない。)そして、キョウダイから一人だけ選出されて埋葬される場合も、男女いずれの場合もあり、さらには、造墓契機となった初葬者(小児の場合すらあった)・単体埋葬の被葬者における性別の割合はどちらかに偏ることはない。ここにαモデルの特徴である双系的性...