資料:4件
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藩校について述べよ
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江戸時代には、およそ300近い藩(大名家)が存在し、幕府の強い統制を受けながらも、それぞれの藩が独自の軍事力を有し、領内で独立した政治をおこなっていた。つまり、我が国には300近い小国家が分立していたと言っても過言ではないのである。
これは教育についても同様なことがいえた。江戸幕府は、教育に関しても各藩に強い統制を加えることはしなかった。
現在のように、文部科学省を頂点として国歌が国民全体の教育を統括するような管理教育体制は、江戸時代の人間には到底想像もできない構図であろう。
なんとも不思議なことだが、政権を獲得して100年が過ぎても、江戸幕府は、幕臣にさえ統一的教育を施そうと真剣に考えた形跡がない。そんなふうであったから、ましてや各藩の教育に口をはさむなど思いもよらなかったのだろう。
幕府は、儒教の朱子学を幕臣に奨励しつつも、それを旗本や御家人の子弟に施す教育施設をつくらなかった。だから幕臣は、各自の責任でそれぞれが選んだ家塾に通って武士として恥ずかしくない教養を身につけたのだ。 現在、文科省が作成した学習指導要領は、公立学校の絶対的な規準となっているが、江戸時代はこのように、教育に関しては各藩に一任されていたのだ。こうした放任的教育主義を幕府が採用していたため、各藩では独自に藩士の子弟教育を展開し、それがために諸藩における独特の風土がつくられ、特に支配階級たる武家の士風は、藩によって大きく異なるようになった。
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藩校について述べよ。
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藩校について述べよ。
⇒藩校とは、江戸時代に、諸藩がおもに藩士の子弟のために設立した教育機関で、藩学、藩学校などとも呼ばれていた。内容や規模は、藩によって様々だったが、藩士の子弟はすべて強制的に入学させ、庶民の子弟は原則的に入学できなかった。江戸時代前期、武断政治から文治政治への移行とともに藩校が設立され1641年(寛永18年)岡山藩池田光政が設立した花畠教場が最初である。しかし、全国的に藩校が設立されたのは宝暦期(1751年~1764年)以後、多くの藩が、藩政改革のための有能な人材を育成するために設立した。
藩校が成立していく過程として、石川松太郎は四つの種類を上げている。その一つ藩士を対象とした公開講釈のためにもうけた講堂から出立したもの、その二つは儒官の家塾をひきあげて藩校に組織したもの、三つめは聖堂をたてて孔子祭を実施する行事から出発してこの祭典に付帯する講釈のため講堂をもうけ、後に藩校に成長したもの、そして最後は、初めから儒学教育の理念と構想とのもとに、雄大な規模と複雑の組織とをもって建営された藩校の以上四つの種類である。
第一の類型の場合、藩主が儒者を招いて講義を受けていたものを、やがて側近のものや、役付の武士まで聴講を許すようになり、やがて一般の藩士もその対象とするようになった。そのため書院では狭くなったため新たに講堂を設けておこなうようになった。新発田藩の道学堂や、伊勢崎藩の学習堂などが代表的である。
第二の種類の場合である家塾を改組して藩校した例は数多く、会津藩の日新館、米沢藩の興譲館、久留里藩の三近塾などがある。
第三の類型では、聖堂の建立、孔子祭の挙行から出発し、素読や講義をおこなうようになったものであるが、佐賀藩の鬼丸講堂(後に弘道館)、高松藩の講堂(講道館)などが代表的なものである。
第四の類型では、最初から学校の組織形態をとりながら設置された藩校で、水戸の弘道館、高田藩の修道館、熊本藩の時習館などがある。
藩校の発展期には全国に255校、ほぼ全藩につくられた。藩校の普及を支えたものとして、まず徳川時代において文武兼修が武士の理想とされたことが重要である。この思想は鎌倉時代においてあらわれているが、文武両道の形式が一定したのは徳川時代であるとされている。文事のおいては文字を知り、日用の便をはかり、広く古今の事跡を知り、人情に通じ、成敗に鑑みて身を修めることが目的とされている。
藩校において文武兼修が目的とされたが、それは戦乱の時代が終わり、大名が地方官としての性格をもち、武士は武力のみでなく庶民の上にたつ治者としての役割を担うことになり、道徳的修養を結びついた文の要求が増し、登用においても文の教養重視されたことにもとづく。
近世末期になると、幕府の権威が落ち、逆に諸藩の政治力が台頭してくるが、諸藩ではこうした困難な状況、事態を切り抜けるため世襲制にもとづく身分格式よりも、有能な人材養成の必要が強く認識されるようになる。さらに国外からの列強の圧迫など藩的規模における富国強兵、殖産興業をめざすが、そのためには有能な人材の育成と新しい学問や技術の採用など、育英興学を基軸として競って藩校が設立されていくのである。
寛政二年、幕府は老中松平定信のもとで、聖堂において朱子学以外の学派の講義を禁じている。さらにそれにつづいて学問吟味と素読吟味が制度化されている。学問吟味は十五歳以上、素読吟味は十五歳未満の幕臣の子弟を対象とするものであり、直接に登用と結びつくものではないが、学問奨励とともに学問統制の機能を果たしていた
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