市民の知る権利とプライバシーの権利をどこで線引きするのか。図書館という場所はそういった問題に関して常に判断を迫られている。そういった場合において、図書館の特に管理職と言われる立場の職員は時に過剰とも思えるほどの反応を示す事が少なくない。過去の図書館における蔵書の隠匿や廃棄問題は現場の職員の独断で行われた事もあった。その中でも、図書館が閲覧禁止に踏み切った事例を取り上げて考えてみようと思う。
『クロワッサン』2000年10月10日号回収問題では出版社の自主回収が新聞紙上で報じられるやいなや管理職レベルでの自主規制に走る図書館が頻発した。この『クロワッサン』回収問題では、名古屋市立図書館のピノキオ問題で得た“問題となった資料については職員集団、当事者、市民相互に公開された論議をする必要がある”という三原則が完全に無視され、上層部の意志によって閲覧の制限が行われた。しかしその後、横浜市立図書館が管理職のみの判断で該当ページを取り外した対応に関しては行き過ぎとの批判がおこり、市民運動から調査委員会が乗り出すまでになった。
差別表現と人権
市民の知る権利とプライバシーの権利をどこで線引きするのか。図書館という場所はそういった問題に関して常に判断を迫られている。そういった場合において、図書館の特に管理職と言われる立場の職員は時に過剰とも思えるほどの反応を示す事が少なくない。過去の図書館における蔵書の隠匿や廃棄問題は現場の職員の独断で行われた事もあった。その中でも、図書館が閲覧禁止に踏み切った事例を取り上げて考えてみようと思う。
『クロワッサン』2000年10月10日号回収問題では出版社の自主回収が新聞紙上で報じられるやいなや管理職レベルでの自主規制に走る図書館が頻発した。この『クロワッサン』回収問題では、名古屋市立図書館のピノキオ問題で得た“問題となった資料については職員集団、当事者、市民相互に公開された論議をする必要がある”という三原則が完全に無視され、上層部の意志によって閲覧の制限が行われた。しかしその後、横浜市立図書館が管理職のみの判断で該当ページを取り外した対応に関しては行き過ぎとの批判がおこり、市民運動から調査委員会が乗り出すまでになった。
次に『堺通り魔事件実名報道』に関して、『新潮45』1...