「精神医療の歴史及び精神医学の概念について述べよ」
はじめに
精神医療とは精神疾患を対象とした医療である。精神疾患は、厳密にいうと器質精神病のような病因、病理所見の明確なもののみをさすが、臨床の場では、厳密な意味ではそりほど使用されず、広い意味で使用されている。
精神疾患の発病と経過は、時代背景と左右されることが多く、現代精神医学の概念が確立するまでに、精神障害者が社会的にどのように扱われていたのかを理解する事が重要である。以下に西洋とわが国における精神医療の歴史を述べるとともに、精神医学の概念について述べる。
西洋に歴史
ギリシャ時代では、精神障害を病気として、身体治療とともに、作業・レクリエーション療法的なものが行われ、医療的な対応が行われていたようである。
しかし、中世になるとヨーロッパではキリスト教が勢力を得て、精神障害についても宗教的な考えが中心となり、精神障害者は一般社会から迫害されるようになる。
このような状況でピネルは、1793年に精神障害者を鎖から開放し、精神障害者を病める人間として扱った。ピネルによって精神医学が確立され、以降様々な研究者が精神医学の発展に努めてきた。
イギリスでは19世紀前半にリュークがコーク療養所を設立し、道徳療法を始めた。またコノリーが「無高速の原則」を確立するなど、精神医療は発展しつつあった。しかし、19世紀末から再び精神障害者に対して強制器具が使用されるようになった。
その背景にダーウィンの「適者生存説」やウィルヒョウの細胞病理学による影響もおおきく、それらが精神障害者の処遇に悪い影響を与えたと思われる。
1900年前後から、クレペリンやフロイトなどの精神医学者が現れ、総合失調症と躁うつ病の概念や精神分析理論が形成された。さらに、1930年代にはモニッツによるロボトミー、ツェルレッティによる電気けいれん療法などが開始されるようになった。
第二次世界大戦が終了した後、人間性の尊重が再認識されるようになり、それによって、イギリスでは、デイホピタルやナイトホスピタルといったアフターケアが発展するようになった。これにさらに影響を与えたのが、1953年の総合失調症患者へのクロルプマジンの導入であり、これ以降種々の向精神薬が告ぎ告ぐに開発されるようになり、この薬物医療が精神障害者の社会復帰を容易にし、精神医学の著しく発展することになった。
日本の歴史
西洋とは違い、わが国では精神障害に対して宗教的な偏見は少なく、古くから精神病は病気であるという考えがあった。
わが国の精神科病院としては、1875年に京都の南禅寺の境内に京都の癲狂院が設立されたのが最初である。しかしその後、癲狂院の設置はほとんど進まず、警察の許可さえ得られれば自宅に精神障害者を監禁でき、また癲狂院に収容されても、治療というにはほど遠いものであった。
1900年になって精神病者の保護についてのわが国はじめての「精神病者監護法」が成立した。しかし、これは公安上の監視的要素が多く監護義務者による「私宅監置」が認められ、精神病者を治療するのではなく、社会から隔離することが法的に認められ、また、精神病室の管理が警察部の所管とされていた。
そのような中で、呉秀三が「無拘束の理念」を提唱し、精神障害者に作業療法を始めた。彼らの努力が重ねられ1919年には「精神病院法」が成立されることとなった。また1950年には、戦後放置されていた多数の精神障害者の収容と治療を目的として「精神衛生法」が制定された。これによって私宅監置が廃止され、その後間もなく、向
「精神医療の歴史及び精神医学の概念について述べよ」
はじめに
精神医療とは精神疾患を対象とした医療である。精神疾患は、厳密にいうと器質精神病のような病因、病理所見の明確なもののみをさすが、臨床の場では、厳密な意味ではそりほど使用されず、広い意味で使用されている。
精神疾患の発病と経過は、時代背景と左右されることが多く、現代精神医学の概念が確立するまでに、精神障害者が社会的にどのように扱われていたのかを理解する事が重要である。以下に西洋とわが国における精神医療の歴史を述べるとともに、精神医学の概念について述べる。
西洋に歴史
ギリシャ時代では、精神障害を病気として、身体治療とともに、作業・レクリエーション療法的なものが行われ、医療的な対応が行われていたようである。
しかし、中世になるとヨーロッパではキリスト教が勢力を得て、精神障害についても宗教的な考えが中心となり、精神障害者は一般社会から迫害されるようになる。
このような状況でピネルは、1793年に精神障害者を鎖から開放し、精神障害者を病める人間として扱った。ピネルによって精神医学が確立され、以降様々な研究者が精神医学の発展に努...