ジョン・ウェスレーの神学における先行的恵みと悔い改め
Ⅰ極端な人力卑下の傾向との格闘
・宗教改革的言い回し「恵みによってのみ、信仰によってのみ」の中に含まれる“少しでも人間の働きに有効性を許容するとすれば必然的に神の恩恵の質量が削られる”という危惧の働き
1.モラビア派<静止主義>
>神の賜物である義認も信仰も、聖霊の働きを人間の行為で妨害せぬよう、静かに・何もせずに・
受身の形で待っているのが、最善であろう、と論断する。
2.カルヴァン主義の働き
>救いが信仰により、そしてその救いは神の賜物ゆえに、人が救われるのは神がその人物を選んだためであり、逆に救われないのは信仰が与えられておらず、神の選ばれなかったためであるとする、(二重)予定論
→“義認に至る人的功績を一切否定しつつ”、モラビア派・カルヴァン主義の思弁的結末に陥らずに、救いへの主体的・積極的・道徳的向上をいかに訴えることができるか。ウェスレーはその神学的根拠を探求。
→→その神学的根拠――(1)先行的恵み、(2)悔い改めの教理
Ⅱ先行的恵み
・救いに導く恵みはキリストの十字架の贖い故に、人類全体に及ぶ。その結果、未信者の内にも道徳的問題に対して意思をもって選択し、行動する自由が、ある程度回復されている。
>preventing 先に来る/prevenient 恵み――義認に至る過程のすべてにおいて、聖霊がいかなる人間的な発動や選択にも先駆けて(praeveniens)働き、神が主導権を取り、導いていくことを意味する。
・先行的恵みの働き
(1)善悪の道徳律の一部分を人類の心に刻印し、道徳的な神の像を(一部分)回復し、人類に善悪の基準を備えること
(2)刻印された神の律法を認識する良心を備えること。良心はすべての人間に存在するが、人間本来の機能ではなく、超自然的な神の恵みである。
(3)認識された道徳律を実際に選び取って、行動に移す自由意志を備えること。この自由なしに、原罪の影響で罪を犯す人間を罰することは不条理と考えた。
・先行的恵みの起源
>キリストは、特定の人々を対象とした啓示として世に来たのではく、「すべての人を照らす光」(ヨハネ1:9)として来られた。
→“キリストの死による恩恵は、キリストの死と苦難とに関する明確な知識をもっている人々ばかりか、その知識からやむを得ない形で締め出されている人々にも届いている。”
・神と人間の距離/悪の傾向
>神は人間との断絶的距離をご自身のほうから縮めておられるが、原罪の影響力は先行的恵みを受けた人物を深く捕らえている。――カルヴァン主義と異なり、ウェスレーには神と人間/恵みと自然が敵対関係にはないが、原罪の教理は彼にとって、とても強いものである。
>先行的恵みがすべての人に備えられているにも拘らず、似と農地には悪への傾向性が根強く残存する。
→先行的恵みは新生に至るまでの前段階とは単純に考えられない。先行する恵みを受けながらもキリストを受け入れていない人とキリスト者では大きな溝がある。そこに悔い改めが必要となる。
Ⅲ悔い改め
*ウェスレーの悔い改めの教理は――律法により罪を深く認識する「律法的悔い改め(legal repentance)」と信仰者が新生後に体験する罪性へに悔い改めである「福音的悔い改め(evangelical repentance)」――二重構造をもっている。
・人間が神のもとに導かれるときに通る三つの段階的な状態
――説教#9「奴隷の霊と子たる身分を授ける霊」
(1).生まれながらの状態(natural state)
ジョン・ウェスレーの神学における先行的恵みと悔い改め
Ⅰ極端な人力卑下の傾向との格闘
・宗教改革的言い回し「恵みによってのみ、信仰によってのみ」の中に含まれる“少しでも人間の働きに有効性を許容するとすれば必然的に神の恩恵の質量が削られる”という危惧の働き
1.モラビア派<静止主義>
>神の賜物である義認も信仰も、聖霊の働きを人間の行為で妨害せぬよう、静かに・何もせずに・
受身の形で待っているのが、最善であろう、と論断する。
2.カルヴァン主義の働き
>救いが信仰により、そしてその救いは神の賜物ゆえに、人が救われるのは神がその人物を選んだためであり、逆に救われないのは信仰が与えられておらず、神の選ばれなかったためであるとする、(二重)予定論
→“義認に至る人的功績を一切否定しつつ”、モラビア派・カルヴァン主義の思弁的結末に陥らずに、救いへの主体的・積極的・道徳的向上をいかに訴えることができるか。ウェスレーはその神学的根拠を探求。
→→その神学的根拠――(1)先行的恵み、(2)悔い改めの教理
Ⅱ先行的恵み
・救いに導く恵みはキリストの十字架の贖い故に、人類全体に及ぶ。その結果、未信...