広島市中心部の移り変わり

閲覧数2,002
ダウンロード数3
履歴確認

    • ページ数 : 3ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

    私は自分の出身地である、広島県広島市について調査しました。しかし広島市全域にすると、大変広くなってしまうため、現在の広島市の中心街である広島城の周辺に調査範囲を限定しました。その地域の江戸時代から現在への町並みの変化を中心に調査しました。
     はじめに、今回調査した広島市の中心部の地理的特徴として、東と北と西の三面を山に囲まれ、南は海に向かって開かれた地域であり、中国山地に源を発している太田川が、河口付近でくも手に分かれて三角州を形成していて、その三角州上に発展している事がある。広島の市街地に入ると、太田川は次第に分流をして、六筋にもなっている。

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    広島市中心部の
       移り変わり
    私は自分の出身地である、広島県広島市について調査しました。しかし広島市全域にすると、大変広くなってしまうため、現在の広島市の中心街である広島城の周辺に調査範囲を限定しました。その地域の江戸時代から現在への町並みの変化を中心に調査しました。
     はじめに、今回調査した広島市の中心部の地理的特徴として、東と北と西の三面を山に囲まれ、南は海に向かって開かれた地域であり、中国山地に源を発している太田川が、河口付近でくも手に分かれて三角州を形成していて、その三角州上に発展している事がある。広島の市街地に入ると、太田川は次第に分流をして、六筋にもなっている。
    現在の広島の中心市街地は、広島城があることからわかるように、かつては城下町として栄えていた。その広島城は1599年に毛利元就の孫の、輝元によってつくられた。それから城下町として栄え始め、江戸時代では南北3.8キロ、東西3.5キロで人口は約5万人にもなった。広島城が建てられたころから、太田川の分流の治水も始まり、城下町は川に分断されて六つに分かれていた。加えて、多くの堀と二本の運河も存在していた。そして、広島城南...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。