「ことばの学び手としての児童に教えること」について。
「話すこと・聞くこと」「書くこと」「読むこと」に関わる点。
具体的な例を示す。
(1)ことばを学ぶということ
ことばはコミュニケーションのための記号の体系であり、話す・書くなどの行為を通して情報の伝達を行う手段となる。ことばを伝達することによって心情・思い・考え等を表す手段の一つであるともいえる。言い換えると学術的には「言語」とも称されている。この場合、動物間のコミュニケーションや、コンピュータ動作を規定するための文字による記号の体系を指す場合もある。例えば、イルカが泣き声でコミュニケーションをとっていたり、蜂がダンスで交信することをそれぞれの言語と表現することもある。コンピュータの動作を規定するための文字はプログラミング言語とも呼ばれている。コンピュータはことばを意味のある文字列として理解するのではなく、0と1の2進数の数字の電気的な信号をもとに決められた反応を行う。これらはことばの一般的なイメージとは大きく異なっているが、定義からすると間違いなく情報を伝達する手段の一つである。
しかし、ここでいうことばは狭い定義を指している。狭義では人間の音声による言葉を指す。厳密にこの定義で捉える場合、ことばを持つということは人間固有の機能と考えられている。また、固有であると同時に文字を持たないことはありえるが、言葉を持っていない民族はないことから人類には必ず発生するコミュニケーションツールであると言える。
ことばはコミュニケーションの基盤である。つまり知識・知恵を学ぶ際のツールとして必須の能力である。また同時に他人に意思を伝達する、他人の意見を聴く、交渉するなどの社会の一員として生活する上で欠かせない周囲との関わりをつなぐ手段となる。そして、人間として生きていく上で欠かせない道徳的な観念、情緒面での体験、感性の養成などにおいてもことばによる伝達が重要な要素となっている。つまり自分を育てること、他人を理解することなどの社会の一員として人間が生きていく上で欠かせないものである。
(2)国語科教育について
近年、学力低下という単語とともに国語に関する子どもたちを取り巻く状況についても大きく変化しているといわれている。例えば活字離れや遊び文化の変化が著しいことなどがあげられる。携帯電話・予測変換機能を伴う電子メールの普及により文字を書くという行動が減少し、漢字を書くことや表現することなどの能力が衰えているという研究もある。このように現在の児童が生活している時代は核家族化や少子化の時代となり、かつ変化のスピードを考えるとこれまでに我が国が体験したことのない経験を伴う時代となっている。これらの変化を背景として、児童の「ことば」に関する能力についての問題が指摘され、国語力を育成するということがますます重要視されてきている。
我が国では日本語を主たる言語としてコミュニケーションをとる人が人口の中でもかなりの比率を占めることを考えても、日本語を中心とする「ことば」を操る能力の育成は全ての知的活動・教科学習の基盤となることは明らかである。同時に国語科教育における感性や情緒等の基盤を育てる教育は、児童一人一人に確かで豊かな国語の力を身につけさせることを目指している。
国語教育の目的としては現行の「小学校学習指導要領」で次のように記されている。
『国語を適切に表現し正確に理解する能力を育成し、伝え合う力を高めるとともに、思考力や想像力及び言語感覚を養い、国語に対する関心を深め国語を尊重する態度を育てる。』(「小学校学習
「ことばの学び手としての児童に教えること」について。
「話すこと・聞くこと」「書くこと」「読むこと」に関わる点。
具体的な例を示す。
(1)ことばを学ぶということ
ことばはコミュニケーションのための記号の体系であり、話す・書くなどの行為を通して情報の伝達を行う手段となる。ことばを伝達することによって心情・思い・考え等を表す手段の一つであるともいえる。言い換えると学術的には「言語」とも称されている。この場合、動物間のコミュニケーションや、コンピュータ動作を規定するための文字による記号の体系を指す場合もある。例えば、イルカが泣き声でコミュニケーションをとっていたり、蜂がダンスで交信することをそれぞれの言語と表現することもある。コンピュータの動作を規定するための文字はプログラミング言語とも呼ばれている。コンピュータはことばを意味のある文字列として理解するのではなく、0と1の2進数の数字の電気的な信号をもとに決められた反応を行う。これらはことばの一般的なイメージとは大きく異なっているが、定義からすると間違いなく情報を伝達する手段の一つである。
しかし、ここでいうことばは狭い定義を指している。...