戦後の日本の社会福祉の歴史について

閲覧数8,446
ダウンロード数18
履歴確認

    • ページ数 : 8ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

    戦後のわが国の社会福祉の歴史的展開についてまとめ、今日の課題について述べなさい。

     1945年(昭和20年)に、日本の敗戦によって国民は混乱を経験した。食糧不足によって栄養不良になり、それまで信じてきた全てが目の前で崩れ落ちるという虚脱感を味わう。経済的にも社会的にもひどい状態が続き、戦争で両親を失った子どもは、戦災孤児となり、住む場所も失った子どもは浮浪児になった。そのような中で、新しい民主国家を目指して日本国憲法が制定され、第25条の生存権など基本的人権の尊重が重視されるようになった。恩恵を施すという考えから、基本的人権を保障するという考えへの始まりである。
     生活困難の国民の最低限の生活を支えるため、1945年末に「生活困窮者緊急生活援護要綱」が閣議決定され、1946年にGHQにより「社会救済に関する覚書」が出され、国家責任、公私分離、無差別平等、必要十分の4原則が示された。救護法などの戦前の公的救済にかわって、1946年に生活保護法が制定されたが、欠格事項が多く、再度1950年に制定された。

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    戦後のわが国の社会福祉の歴史的展開についてまとめ、今日の課題について述べなさい。
     1945年(昭和20年)に、日本の敗戦によって国民は混乱を経験した。食糧不足によって栄養不良になり、それまで信じてきた全てが目の前で崩れ落ちるという虚脱感を味わう。経済的にも社会的にもひどい状態が続き、戦争で両親を失った子どもは、戦災孤児となり、住む場所も失った子どもは浮浪児になった。そのような中で、新しい民主国家を目指して日本国憲法が制定され、第25条の生存権など基本的人権の尊重が重視されるようになった。恩恵を施すという考えから、基本的人権を保障するという考えへの始まりである。
     生活困難の国民の最低限の生活を支えるため、1945年末に「生活困窮者緊急生活援護要綱」が閣議決定され、1946年にGHQにより「社会救済に関する覚書」が出され、国家責任、公私分離、無差別平等、必要十分の4原則が示された。救護法などの戦前の公的救済にかわって、1946年に生活保護法が制定されたが、欠格事項が多く、再度1950年に制定された。また、戦災孤児・浮浪児などの深刻な児童問題を解決するため、1947年に児童福祉法が制定さ...

    コメント1件

    catroko 非購入
    措置費制度の成立からその問題点を含めて論ずるとよいのではないかと思います。
    2009/09/08 9:16 (15年2ヶ月前)

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。