意見の不一致は社会学、ひいては社会科学の主義・信条の闘いにすぎない。社会科学は個人主義者と構造主義者では全く異なって見えるのである。では、社会科学は社会的行為を個人の観点からのみ説明すべきだろうか、もしくは特徴的な社会的諸力が存在しているのだろうか。
しかしながら、現代の多くの研究者は構造かエージェンシーかという二者択一の問題ではないと見なしている。実際により緻密に見れば、構造主義者はエージェンシーなし済ますこともできず、またその逆も同様であることが分かる。
例えば、マルクスは、人は環境という制約の下で歴史を作ることを議論している。彼は決定論者として批判されることもしばしばあるが、マルクスにとって構造と主体性のいずれも重要だったように思えるのである。同様に、デュルケムは社会的事実だけでなく、集合的圧力に抵抗する個人の能力を強調していた。ウェーバーも個人主義者として知られているが、プロテスタントの倫理と資本主義市場の鉄の檻という社会的諸力が社会行動に与える影響を理論化している。
こうした研究者が登場したのは、構造とエージェンシーの役割を認識し、調和させることなく実社会を理論化するこ...