因果的決定論は、私がこれまでに幾度も考えを巡らせてきたものであり、大抵の人間にとっても興味を持ちやすい議題であると思われる。私は、この因果的決定論が正しいか否かにより、一人一人の人間が生きる意味的なものを持ちえるかどうかが決まってくると考えている。因果的決定論によると、我々の行動の全てはあらかじめいわゆる何か大きな力または法則、いわゆる「運命」的なものにより定められているということになり、何をしてもそれを変えることはできないということである。これは人間の自由意志を完全に否定するものであると私は考える。なぜなら、講義でも扱った、自由と決定論は両立可能かどうかという問いに対し、私は両立不可能であるという考えを持っているからである。
哲学2005年夏課題
因果的決定論と自由意志について
因果的決定論は、私がこれまでに幾度も考えを巡らせてきたものであり、大抵の人間にとっても興味を持ちやすい議題であると思われる。私は、この因果的決定論が正しいか否かにより、一人一人の人間が生きる意味的なものを持ちえるかどうかが決まってくると考えている。因果的決定論によると、我々の行動の全てはあらかじめいわゆる何か大きな力または法則、いわゆる「運命」的なものにより定められているということになり、何をしてもそれを変えることはできないということである。これは人間の自由意志を完全に否定するものであると私は考える。なぜなら、講義でも扱った、自由と決定論は両立可能かどうかという問いに対し、私は両立不可能であるという考えを持っているからである。我々の関わる全てのことがあらかじめ決められているとしたら、一挙一動に始まり、発する言葉、そして思考や頭でイメージする映像までもが予定されていた一連の出来事でしかなく、今こうして私がパソコンに向かいこのレポートを書いていることも因果的決定論に基づけば既に決められていたことであり、またこれが、「因果的決定論に基づけ...